2017/01/16

メソポタミア神話

 メソポタミアの宇宙観について、具体的な文献は残されていない。

 学者たちは様々な記述の研究を通して、メソポタミアの宇宙観を少なくとも部分的には正確に復元している。 

 紀元前1200年頃に書かれた創造の叙事詩では、神マルドゥクが母なる神ティアマトを殺し、その半身を使い地上を作り、残りの半分から楽園 (宗教)(šamû)と冥界(irṣitu)を創ったとされている。 

 同時期に書かれた別の文献には、宇宙は回転楕円体で、神々と星の住まう3層の楽園と、その下の3層の地上からなると描写されている。

●神々 
 紀元前二千年紀前半。 

 多神教のメソポタミアの宗教は、様々な神々の存在を許容した。 

 一方で単一神教として、それぞれの信者集団がそれぞれ特定の神を、より優れたものとして信仰した。 

 これらの集団は大抵の場合、都市あるいは都市国家ごとに形成され、それぞれの都市の守護神を信奉した。 

 例えば神エンキは都市エリドゥ、アッシュールはアッシュールまたはアッシリアそのものの、エンリルはニップル、イシュタルはアルビール、マルドゥクはバビロンの守護神と考えられた。 

 メソポタミアにどれだけの神が存在したのかは分かっていないが、タルクヴィストは彼の著書の中で、今日知りうる限りではおよそ2400の神々が存在したとしている。 

 その中の多くは、シュメールの名を持っている。 

 シュメール語では神々はディンギルと呼ばれ、一方アッカド語ではイル(ilu)と呼ばれていた。 

 この2つのグループはお互いの神に寛容で、お互いにそれぞれの神を取り入れあっていたようである。  メソポタミアの神々には、擬人観を見ることができる。 

 人間らしさを持ち、したがって人の姿を持っている。 

 人間と同様に飲食を必要とし、お酒もたしなむ。 

 結果として急性アルコール中毒に悩まされることもあるが、人間よりも高次の存在と捉えられていた。 

 人間よりも力強く、全知なる存在であり、人間には計り知れない存在であり、なりよりも不死である。 

 人との違いという点では、神々の持つメラム(melammu)と呼ばれる後光が、最たるものと言える。 

 メラムは神々を包み込み、見た者に畏怖と尊敬の念を抱かせる。 

 神々の多くは、それぞれ血縁関係にある。  これは他の多神教においても、しばしば見られる特徴である。 

 歴史家のボテロは、メソポタミアの人々は神秘主義的に神々を見ていたのではなく、かといって憧れ敬慕する存在というのでもなく、従うべき畏れるべき自分たちの主人として見ていたと述べている。 

 一方でメソポタミア人の名前には、貴賎に関わらず神々の名前を含むものが多く見られる。 

 この習慣は紀元前3000年紀にシュメール人から始まり、後にはアッカド人にも取り入れられた。 

 初期の段階では、パンテオンに序列は存在していなかった。 

 後にメソポタミアの神学者たちは、神々に重要度に応じた序列をつけた。 

 560に及ぶシュメール語で書かれた神々のリストが、ファラ(Fâra)とテル・アル・サラビク(Tell Abû Ṣalābīkh)で見つかっている。 

 紀元前2600年ごろのもの、と見積もられている。 

 その中では5柱の基本的な神々が、特に重要な存在として位置づけられている。 

 これら初期のメソポタミアの中で、特に重視されていたのがエンリルである。 

 シュメール人の宗教観ではエンリルは神々の中の王であり、世界の支配者として扱われていた。 

 後には、アッカド人にも取り入れられた。 

 エンリルに近い役割を持つシュメールの神アン(An)もアッカド人に取り入れられ、アッカド人の間ではアヌとして信仰された。 

 シュメールのエンキはアッカド人にもエンキとして取り入れられたが、後にエア(Éa)と名前を変えている。 

 同様に月の神ナンナはアッカドではシンに、太陽の神ウトゥ(Utu)はアッカドではシャマシュに名前を変えている。 

 女神では、シュメールの性と戦いの神イナンナが特に重視された。 

 後に紀元前18世紀ごろ、南メソポタミアでバビロニアの影響力が増すと、ハンムラビはそれまで注目されることの無かったマルドゥクをアヌ、エンリルと並ぶ最高位の神とした。 

 メソポタミアの宗教の中で、今日まで残った重要な神話として「ギルガメシュ叙事詩」が挙げられる。 

 この叙事詩では、英雄ギルガメシュ王と彼の無二の親友、野人エンキドゥの物語、そして神々の思惑が複雑に絡み合う不老不死を求めたギルガメシュの旅が語られている。 

●死後の世界 
 古代メソポタミアの人々は、死後の世界はこの世界の下に広がっていると信じていた。 

 アラル(Arallû)と呼ばれたり、ガンゼル(GanzerあるいはIrkallu、偉大な地下の意)と呼ばれたりと不定であるが、社会的地位、生前の行いに関わらず死んだ者は、みなそこへ行くと信じられていた。 

 キリスト教のヘル(地獄)とは違い、メソポタミアの冥界は罰でも報いでもなかった。 

 冥界でも生前と同じ状態ですごしているというわけではなく、死者は非力な幽霊として扱われる。 

 イシュタルの祖先が冥界へ行く神話では塵が彼らの食べ物、粘土が彼らの栄養であり、暗闇に暮らし、光を見ることはない、と語られる。 

 いくつかの神話、たとえばアダパ(Adapa)の神話などでは、愚かさのためにすべての人間は死を免れない。 

 永遠の命は神々ののみが所有する、と語られている。 

●終末論 
 終わりの時に関する、メソポタミアの説話の存在は知られていない。 

 しかしメソポタミアの人々が、なんらかの終末論を持っていたのだろうと推測されてきた。  

 この推測は、大部分がベロッソスの著述によるものである。 

 彼は、メソポタミア人は世界が12のサー(sar、3600年)を12回繰り返すと信じている、と記述している。 

 つまりメソポタミア人の少なくとも一部は、世界は518,400年で終わりを迎えると信じていたことになる。 

 終末の後に何が起こるかに関しては、ベロッソスは書き残していない。 
※Wikipedia引用

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