2017/01/17

【男御子女御子御詔別の段】『古事記傳』

口語訳:このとき天照大御神は、速須佐之男命に「この後から生まれた五柱の男神たちは、その生まれた種となったものが私のものだったから、私の子です。先に生まれた三柱の姫神は、生まれた種となったものはあなたのものだったから、あなたの子です。」と言って振り分けた。

 

是後(こののちに)云々。ここは「この」で一旦軽く切る。「こののち」と連続して読んではいけない。「この」というのは、五男三女すべてを指して言う。

 

○所生は「あれませる」と読む。「阿禮坐(あれまし)」という語は、中巻橿原の朝(神武天皇)の段にある。そこ【伝二十の三十五葉】で詳しく言う。ここの大御神の言葉は「汝が生んだ」、「吾が生んだ」と言うべきだが、そうは言わず、ただ「後に」、「先に」と言っているのはわけがある。書紀に書いてあるのは、「もし私の生む子が女ならば云々」、「もし男ならば云々」とあり、また「日神の生んだ三女神云々」、「素戔嗚尊の生んだ子は皆男であった」ともあって、三女神は天照大御神の生んだ子、五男神は須佐之男命の生んだ子と、初めから分かれていた。ところが、この記の言うところは、誓(うけ)いの間に一続きに生まれて、三女五男ともに大御神と須佐之男命の子であり、これは大御神の子、これは須佐之男命の子という別は、初めはない。ここの言葉で後先だけで言っているのはそのためだ。このことは、後にも述べるのを参照せよ。後に生まれた方を先にいい、先に生まれた方を後に言っているのは、物實の尊卑による。【大御神自身が言った言葉ですら、このようである。大御神の尊いことを知るべきだ。】

 

○男子女子は、「ひこみこ・ひめみこ」と読む。【「ひこみこ」は「子」という語が重なっているように見えるが、差し支えない。古くは「ますらお・たおやめ」、「ひこがみ・ひめがみ」などと読んでいたが、良いとは思えない。】書紀の孝元の巻に「生2二男一女1」、また垂仁の巻に「生2三男1」。これらの「男女」をそう読んでいるからである。

 

○物實は「ものざね」と読む。書紀には「物根(ものだね)」とある。「さね」と「たね」は、物も名も通う。【谷川氏が「五男神は物實が日神のものだから、日神が父、須佐之男命は母のようなものだ」と言ったのは、その通りである。

 

○書紀の崇神の巻に「倭国之物實・・・物實は『ものしろ』と読む」とあるのは、別である。祝詞などで「禮代(いやしろ)」、今の商人の言う「しろもの」などは、この「実(しろ)」のことである。寶基本記に、「富物代(とみのものしろ)」という言葉も見える。】

 

○我物(あがもの)とは、美須麻流(みすまる)の珠をいう。

 

○自吾子也(おのずからアがミコなり)。この「自」は、後の文の「自我勝(おのずからワレかちぬ)」とある「自」と同じである。そこに説明がある。【伝八の三葉】

 

○汝物(みましのもの)は十拳劔のことである。

 

○詔別賜(のりわけたまう)とは、ここで誕生した五男三女はいずれも大御神と須佐之男命の子であって、本来はいずれがいずれの子という別はなかったのを、ここで物実によって分けたのである。これは、この記の趣旨(主張というほどではないが、中心的な認識)であって、書紀とは違っている。さらの後の文にも、その旨がうかがえる。「詔別(のりわく)」という語は、中巻の明の宮(應神天皇)の段にも見える。【ある人が「書紀はともかく、この記においても、三女は大御神が生み成し、五男は須佐之男命が生み成したとなっているので、初めからそれぞれの御子のように分かれているようだし、正勝吾勝という名も、須佐之男命が言った言葉に依っているのに、本来その別はなかったというのは、どういうことか」と疑った。

 

答え。「書紀の説は狭霧に吹き成した主について、それぞれに御子を分けているが、この記では一つの誓(うけ)いの最中に次々と生まれた神を一つに見なしていて、吹き成した主には関わっていない。ただ吾勝という名は、吹き成した主に基づいて名付けたものである」。また他の人は、「この誓(うけ)いは単に須佐之男命の心が清明であることを明かすためだったのに、大御神も一緒に誓いを行ったのはなぜか」と訊いたので、「このことは、後世の目には疑わしくも見えるだろうが、上代には、こうしたたぐいの誓いは、疑う人と疑われる人が共に行うのが定まりだったのだろう。」と答えた。

 

ある説に、「この誓いは、皇嗣を定めるために行われたのである。そのため日神も共に誓いを行った」というのは、納得できない。そうであれば、この段は、種々のことを方便によって説く仏教の法典と変わりない。神代の出来事をそんな風に書いたことはない。大御神が須佐之男命を疑ったことも本当のことであって、この誓いによって天津日嗣しろしめすべき御子が生まれるであろうなどと、あらかじめ知ることはなかったのだ。しかも誓いによって御子を生もうと言ったのも、須佐之男命の申し出によるのであり、大御神自身が言い出したわけではない。ただし、この誓いによって皇太子が生まれたことは、深い理由があることで、初めから決まっていた定めがあるのだろうが、それは大御神にさえ予知できなかったのだ。神は仏とはおよそ異なるものである。

 

またある説に、「三女五男は大御神が須佐之男命と交合して生み出した」、または「須佐之男命が別の女性と交合して生んだ」というのは、どれも根拠のない妄説だ。いにしえの伝えが明らかであるのを受け入れず、自分の浅はかな智慧で推し測ろうとするとは何事か。子を生むには女男の交合が必要だと思うのは、神の道の奇霊(くし)きを知らず、普通の人の理に迷っている。また「三女は大御神の心化で無形(むぎょう)の神、五男は須佐之男命の身化で、有形(うぎょう)の神」などと言うのも例のみだりごとだ。「心化、身化」などと、うるさい名目を別に設定して、神をより分けようなどというのは、上代には全くなかったことで、後世の浅ましい自分勝手な解釈である。この三女を無形というのも、何の証拠もない。たまたま事績などが伝わっていないので、そう言ったのだろうか。だが大国主命が多紀理毘賣命を妻にしたことが伝えられているのをどうする。それに五男神の中にも、事績が伝わっていない神がいる。およそこの三女五男の神については、世間で言われていることには曲説が多い。】

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