夏に高温多湿の気候をもつ日本では、アジアの他地域同様、発酵食品が早くから発達した。みそ、醤油、酢、酒、みりんは、日本料理の調味料として日本料理の味のベースになった。汁物や煮物には、調味料に加えて、鰹節、煮干し、昆布などで出汁をとり、これに醤油やみそによる味を付けることでうま味を増し、よりおいしい料理が出来る。さらに、これらの調味料、出汁の材料に加え、わさび、からし、しょうが、こしょう、さんしょう、とうがらし、柚、木の芽、おろし大根など香辛料・香辛野菜を加えることにより、季節感を楽しみながら、より一層美味しさを感じる料理が工夫され定着している。
刺身の調味料は、現在醤油とわさび、醤油としょうがなどが一般的であるが、時代とともに調味にも変化がみられる。江戸時代の料理書の刺身の調味料を調査してみると、初期の料理書では酢にわさび、しょうが、からしなど、辛みを組み合わせた調味料が多く使われている。次に多く使用された調味料は煎り酒と呼ばれるもので、酒に梅干し、鰹節を加えて煮つめたものである。
関東醤油が量産されて、一般に広まる江戸時代中期以降には、醤油にわさびをつけるなどの現代に繋がる調味が行われるようになる。また、現代は煮物、あえ物、焼き物に至るまで、砂糖またはみりんなどの甘味を加えた調味が一般化しているが、この習慣は江戸後期の料理書に見られるようになるものの、明治後期に書かれた『東京風俗志』(平出鏗二郎)によれば、明治以降、東京を中心に流行するようになり、みそ汁にまで砂糖を入れると記している。この習慣には地域性があり、関西では甘味による調味は必ずしも東京と同様ではなく、幕末の『守貞謾稿』では関西の人が江戸の甘味を入れた調味の方法に対し、食品の味を損ねると批判している。
これを見ると中世の料理書の性格をもつ『料理物語』では、甘味をつけた料理は見られず、たまりが60%を占めている。また、江戸中期の『料理網目調味抄』では、醤油+酒の調味が56%で、みそと酒の調味を合わせると81%となる。しかし、高級料理屋として有名だった八百善主人の刊行による『江戸流行料通』では、煮物の殆どに甘味が使われており、みりんに塩、みそにみりんの味付けも加えると、84%に甘味を用いている。
一方、明治期に刊行された料理書『実用料理法』では、たまりを除き種々の調味が使われているものの、甘味を加えた料理は40%以上となる。さらに大正期の『家庭実用献立料理法』になると、52の煮物の87%が醤油+みりん(または砂糖)の調味であり、みそ+みりん(または砂糖)の調味を加えると、甘味の煮物は95%、殆どの煮物料理に甘味が加えられている。調査資料をもう少し増やして検証する必要はあるが、現在の煮物に甘味を加える調味法は、このような変化があり、1910年以降一般化し継承されてきたといえよう。
明治時代以降の料理の発展と調理場、調理道具の発展とは切り離せない関係がある。江戸時代までの主な熱源であった薪と炭は近代以降も長く使われたが、これにガスと電気の発展が加わった。1880年代以降普及する国産マッチも、調理の能率を高めた。日本は水が比較的豊かとはいえ、それを台所の近くに運ぶ手間は重労働であったが、江戸の水道以上に広範囲の水道の架設と、蛇口から水を使える近代的水道の供給は調理時間を短縮し、水の確保のための労働と時間を減少することとなり、料理作りへの時間的ゆとりが出てくることにもつながった。これらの近代的設備を人々が受けることが出来るようになるのは、生活スタイルが少しずつ変化する日露戦争前後、1900年以降と考えられる。
『東京ガス100年史』によれば、東京の家庭用燃料としてのガス需用家数は1902年に853戸であったが、5年後の1907年には4188戸と増加している。その後、さらに広がり雑誌などにもガス竈、ガス七輪などの絵入り広告が出された。1923年の関東大震災には、需用家約25万戸の半数近くが消失したが、1930年にはこれらが復旧し、東京の家数の約58%にガスが供給され約64万7千戸となった。大阪でも同じ頃、約60%の世帯に普及した。しかし第二次大戦後の1950年代頃までは、依然として薪、炭は主要な家庭用燃料であり、とくに炊飯には長く薪が使用された。東京を中心とした神奈川、埼玉を含む労働者家庭の炊事用燃料の使用状況(1951~53年)を見ると、終戦後の復旧が十分とはいえない時期とはいえ、薪、木炭の使用が多かったことがうかがえる。これらの世帯の給水設備をみると、大工場世帯では63%が水道のみの使用で、その60%は共用であった。
以上のような燃料に合わせて、調理器具が使われた。炊飯用には薪が長く使用されたことから、厚い木製の蓋のある羽釜と呼ばれる鍔の付いた鍋が一般的なもので、1日に1回まとめて炊く習慣から、1升炊き、3升炊きなど比較的大きな羽釜が使われた。またガス用のかまども、羽釜を使えるよう考案された。加熱用の調理道具としては、ほかに各種の鍋類、せいろが用いられ、あえ物、みそ汁作りにすり鉢、出汁を作る鰹節削り、大根、しょうがなどをおろす下ろし金などが使われてきた。
近代以降は、西洋料理に必要なフライパン、シチューパン、泡立て器などが加わり一般化した。日本の伝統的な切る道具である包丁は、片刃が特徴で菜切り包丁(薄刃包丁)、出刃包丁、刺身用包丁は、どこの家庭にも常備されていたが、現在、刺身を各家で作ることが少なくなり、魚をおろす機会も減少すると、出刃包丁、刺身用包丁は姿を消すことになった。代わって、マルチタイプの洋包丁が家庭で常備する包丁の主流となり、材質も鋼製から錆びないステンレス包丁が多くなっている。
現在は家庭に電気冷凍冷蔵庫が常備され、副食に重きが置かれるようになるにつれて、食材が多様化し、加工品などを含めて貯蔵できるようになると、数日分の食材をストックすることは当然のこととなった。電気冷蔵庫は1922年に販売されたというが、もちろん一般的なものではなかった。電気冷蔵庫は1950年以降販売されたが、普及するのは1970年頃で、普及率は約90%となっている。また冷凍食品の生産に伴い、1965年以降2ドア冷凍冷蔵庫の販売が広がり、さらに電子レンジも登場し、1980年には約34%の普及率であったが1990年には65%となる。
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