●プルタルコスの「オシリス物語」
これはギリシャ神話風にアレンジしたもので、前回の「ホルスとセトの争い」が全体のモチーフとなっている。
プルタルコスでは、エジプトの神々はギリシャの神々に置き換えられたが、エジプトの元の神々の名前に戻して紹介する。
女神スト(プルタルコスでは、ギリシャの女神レア)と男神ゲプ(同じく、クロノス)が交わるとラー(太陽神)はストに対し、360日子どもを生んではならないと呪った。
しかし、トト神(ヘルメス)もストと交わり、360日に「閏日の六日」を足してしまった。
そのため、この六日間は呪いに掛からず、ストは五人の子どもを生んだ。
それは「オシリス、ハロエリス、セト、イシス、ネフテュス」であった。
オシリスは、エジプトに農耕や法律や祭儀を教えた。
セトはオシリスへの反逆を企てて、密かにオシリスの身体の大きさを計り、その大きさの棺を作ってオシリスのところに行き、この棺の大きさの者にこれをやろうと言った。
たくさんの者がこれに入ってみたが、誰も合わない。
そこで、オシリスがこれに入ってみたら上手く身に合ったが、セトと密かに隠れていたセトの部下たちが駆け寄り、この棺に釘を打ち付けナイル川に流してしまった。
この棺は地中海に流れ出て、東地中海のビブロスに流れ着くことになったが、行方不明になってしまったオシリスを求め、妻イシスは喪服を身に付けて探し回り、ビブロスの方に流れたとの情報を得、その地方へと向かう。
オシリスの閉じこめられた棺は、ビブロスに流れ着いて一本の木に包み込まれ、大きく成長していた。
そしてビブロスの王は、この木を切って柱にしていたが、イシスはその事を知り、ビブロスの王妃に頼み込んで、この柱を貰い受け棺を取り出した。
それと悟ったセトは、エジプトに運ばれてきた棺の中のオシリスの身体を14に切り分けてしまい、あちこちにばら撒いた。
そのため、後に「オシリスの墓」と言われるものが、各地に存在することになってしまった。
イシスは、これらの破片をあちこち探し回って集めたが、河に捨てられて魚に食われてしまったシンボルだけは、探すことが出来なかった。
他方、死んだオシリスは冥界にあったが、亡霊となって息子ホルスのところにやってきて、セトへの復讐のために彼を鍛え上げる。
ホルスはセトに戦いを挑み、セトを破る。
セトは鎖に繋がれ、イシスのもとに引き出されたが、イシスは彼を死刑にはせずに解放してやった。
これを見たホルスは怒り、母イシスの頭から王章を剥ぎ取ってしまう。
セトは満を持して、再びホルスに立ち向かってきたが、二度にわたってホルスに破れ、遂にホルスの支配が確立することになった。
●死者の書
古代エジプトでは「死んで終わりになるわけではなく、冥界に赴き神オシリスと共に、或いはオシリスに同化し永遠に生き続ける」という信仰をもっていた。
そうした信仰を記しているのが「死者の書」で、最も有名なのは「アニのパピルス」と呼ばれているものである。
これは全巻190章からなる長大なもので、テーベの神官アニがオシリスの冥界に行く手続きや呪文、神々について書き記している。
死者の書を紹介する前に、古代エジプト人の「死生観」について概観しておく。
●カーとバー
古代エジプトでは、人間が誕生した時「肉体」と、その肉体と同じ姿をした精神的活動主体としての「カー」と呼ばれるものが、同時に生まれると信じられていた。
古代ギリシャ的に言えば魂であり、守護霊や祖先神のイメージもあり、人間が両手を上にさしのべている姿で表される。
死とは、カーが肉体を離れることを意味する。
その後の肉体はミイラとなるしかないが、カーと肉体とは離ればなれになるわけでなく「バー」と呼ばれるものによって結びつけられ、供物も運んでもらえると考えられた。
供養の文言というのは、このカーに向けて唱えられるもので、肉体が存続していればカーも滅することなく、永遠に生き続けられると信じられた。
そのためにミイラ作りが行われたわけで、ミイラがなくなってしまうとカーの行き所がなくなってしまう、と考えられた。
そのカーを肉体と結び付けるものがバーで、これは鳥の姿でイメージされ(絶滅してしまったジャビル鳥と見られている)、働きとしては「活力・能力」を意味する。
死者にとって肉体がミイラとなって動けなくなった時、このバーが働いて動き回り、現世と冥界をも自由に飛び回り、死者に供物を運んだりしてカーと肉体を結びつけた(これを「アク」と呼んだ)とされる。
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