ゾロアスター教は、BC10~6世紀頃に中央アジアで生まれた宗教でペルシア帝国で信仰された。
ペルシア帝国が滅亡すると衰退したが、パルティアの時代に復興し、ササン朝ペルシアではペルシアの国教となった。
ゾロアスター教は、ペルシア商人の活発な交易活動によって、中央アジアや中国へ広く伝播した。
7世紀後半、イスラムの波がイランに押し寄せると、ゾロアスター教は迫害され活動の中心はインドに移った。
インドに移住したゾロアスター教徒は、パールシー(ペルシア人)と呼ばれている。
現在、世界のゾロアスター教の信者はインドで7万5千人、イランに3~6万人など世界で約13万人程度と推計されている。
イランの新年はノウルーズ(Nouruz)といい、日本の春分の日にあたる。
ノウルーズは、イランがイスラム化される以前から行われていた行事で、ゾロアスター教の教えに基づいているお祭りである。
◆ザラスシュトラ
ゾロアスター教はアーリア人の祭司だったザラスシュトラ(Zarathustra、英語名:ゾロアスター Zoroaster)によって開かれた。
彼が30歳の時、天使ウォフ・マナフ (Vohu Manah) に導かれて正義の神アフラ・マズダ(Ahura Mazda)に出会い啓示を受けた。
アーリア人は多くの神を信じていたが、ザラスシュトラはアフラ・マズダこそが唯一の神であると説き、アフラ・マズダの言葉を人々に伝え始めた。
彼は「世界最古の預言者」といわれている。
ゾロアスター教の教えである一神教、天国と地獄、最後の審判などの概念は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教あるいは仏教に大きな影響を与えたといわれている。
ザラスシュトラは
「正義を求める者は皆天国に行き、不正をすれば地獄へ落ちる」
と説いた。
当時は人が死ぬと下層民は地下に、権力者は天国に行くと信じられていた。
このため、ザラスシュトラの教えに権力者は反発し、布教は困難を極めた。
しかし熱心な布教活動を行い、信者は徐々に増えていった。
BC550年、キュロス大王がアケメネス朝ペルシアを興した頃には、大半のペルシア人がゾロアスター教の信徒になっていた。
第3代のダレイオス1世は「アフラ・マズダの恵みによって王となりえた」という碑文を残している。
アケメネス朝が、マケドニアのアレクサンドロス大王によって滅ぼされてセレウコス朝ができると、ゾロアスター教は迫害された。
セレウコス朝を滅ぼし、イラン人のパルティアが建国されると、ゾロアスター教は復活した。
パルチアの次に興ったササン朝ペルシャでは国教となり、聖典アヴェスターが編纂された。
アヴェスターは、ザラスシュトラの教えが述べられているもので、全部で21巻あるとされるが約4分の1しか現存していない。
636年、イスラム軍がペルシアに侵攻し、651年にササン朝ペルシャは滅亡した。
ゾロアスター教は迫害され、火の寺院はモスクに変えられた。
ゾロアスター教徒の一部は、インドの西海岸に移住した。
現在では、インドがゾロアスター教信者の最も多い国となり、ムンバイがその中心地である。
ゾロアスター教は光(善)の象徴として「火」を尊ぶため、拝火教とも呼ばれる。
各寺院には、ザラスシュトラが灯した火がずっと燃え続けている。
寺院には偶像はなく、信者は炎に向かって礼拝する。
火を大切なものとする考えは、アーリア人の宗教に根ざしている。
古代アーリア人は火、水、空気、土を神聖なものとしていた。
特に火は暖をとったり料理に使うため、絶やさないように心がけていた。
この火を絶やさないように大切にする習慣が、ゾロアスター教に採り入れられたといわれている。
ゾロアスター教の葬送は、鳥葬が行われていた。
鳥葬とは遺体を神聖な塔に安置し、鳥がその遺体をついばんで骨だけにし、その骨も自然と土に還るというものである。
鳥葬はチベット仏教では、現在も行われている。
◆アナーヒター
ペルシア神話に登場し、ゾロアスター教で崇拝される女神。
本来は川や水を司る水神であるが、健康、子宝、安産、家畜の生殖や作物の豊穣を司る。
インド神話の川の女神であるサラスヴァティ(七福神の弁財天)と同起源といわれている。
◆Mazda
アメリカの電球のブランドだったマツダランプ(日本では東芝が生産)や自動車メーカーのマツダの綴りはMazdaである。
これらは、アフラ・マズダーに由来しているといわれている。