プッチーニ家は、18世紀から連綿と続くルッカの宗教音楽家の家系であるが、中には器楽作曲家もいた。この中で唯一オペラ作曲家を目指し、なおかつ唯一世界的音楽家として名声を残したのが、ジャコモ・プッチーニである。
プッチーニは、学生時代に書かれた幾つかの器楽曲(管弦楽曲数点と室内楽の小品1点)と宗教曲を別にしてオペラの作曲に余念がなく、現在頻繁に演奏されているのもオペラが中心である。プッチーニの音楽史上の位置付けは「ヴェルディ亡き後、19世紀末から20世紀初頭のイタリア・オペラにおいて最高の作曲家」というものである。
出世作の『マノン・レスコー』を皮切りに『ラ・ボエーム』と『トスカ』を次々に成功させ、オペラ作曲家としての地位を確立した。続く『蝶々夫人』では初演の評判は散々だったものの、徐々に評価を高めて今日ではプッチーニおよびイタリア・オペラの代表作とされている。
『マノン・レスコー(Manon Lescaut)』は、プッチーニが35歳の時に発表したオペラで、初演は1893年。この作品でプッチーニは一躍脚光を浴び、音楽家としての地歩を固め始める。
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