2006/01/30

埋もれた逸材(フィギュアスケート特集part2)

 裏事情はともかくとして、表向きは有力六選手による熾烈な代表争いの最終選考会となったのが、年末に行われた全日本選手権である。結果的に五輪代表に選ばれた荒川、村主、安藤と、代表の座を逃した中野、恩田、そして実力的にはナンバーワンだった浅田という、かつてないような豪華な顔触れだったが、本来はここにもう一人有力な選手が登場していなければならないはずであった。

 その選手とは、太田由希奈・・・「太田由希奈」と訊いても、恐らく一般的には名前すら殆ど知られていない存在である。ましてや、彼女のスケーティングをTVででも観た事のある人は、滅多にいないだろう。実を言えばワタクシ自身も、つい最近まで名前すら訊いた事がなく、インターネットの動画で初めて演技を目にしたくらいであった。

先に「もう一人、いなければならなかった」と書いたが、実はより正確に言うなら、本来は中野のところに太田が入るはずだったのである。

元々、代表争いの資格を満たしていなかった中野は、太田の怪我による長期戦列離脱によって棚ボタとしてチャンスを手にしたのであり、そこから急成長してGPシリーズで表彰台に立つほどまで、躍進を遂げたのだった。

代表選考について「三人目は安藤ではなく、中野を選ぶべきだった」という声を少なからず耳にしたが、それでは太田がいればどうだったか。万全の体調であれば安藤は言うに及ばず、過去の実績からしても中野よりは上にいったとしてもまったくおかしくはない(以前に紹介した、スポンサーがらみの噂が事実であれば、知名度が皆無に等しい太田のメはまったくなかったろうが・・・)

この太田選手に関して、某サイトにおもしろい記事が出ていたので、引用(抜粋)してみる事にする。

 <安藤美姫が、公式戦で女子選手として初めて4回転ジャンプに成功したのは、2002年のジュニアグランプリファイナルだった。安藤はスポーツ新聞のみならず、一般紙の一面にまで登場しテレビも大特集を組んだ。

実はこの時、安藤美姫は一人の若い日本人スケーターに完敗し、最終順位は3位に終っている。2002年のジュニアグランプリファイナルを制したのは、太田由希奈という名の少女だった。だが彼女の名を知るのは、一部のスケートファンにとどまっている。報道は、された。だが、その扱いは「安藤のおまけ」に過ぎなかった。

当時、私は「4回転は、ジュニアグランプリ優勝より凄い事なのだろう」と思った。しかし、そうではなかった・・・

2003年、安藤美姫は遂にジュニアグランプリファイナルの栄冠を手にした。 2004年は新星・浅田真央が優勝した。いずれも大々的な報道が行われ、フィギュアスケートの新時代到来を日本人に印象付けたのだ。

2003年、太田はジュニア選手権でひっそりと優勝している。メディアが注目したのは、パッとしないまま2位に終った安藤だった>

<2004年のジュニア選手権、安藤美姫は見事に優勝を飾り、2005年は浅田真央が優勝。スタジオのアナウンサーも、現地のレポーターも大興奮だった。

2004年、太田は四大陸選手権で優勝した。しかし、その事実を知る日本人は驚くほど少ない。2005年の四大陸選手権が、村主章枝と恩田美栄の一騎打ちで話題になった事とは対照的だ(ちなみに村主が優勝、恩田が準優勝)

勿論、2005年の四大陸は世界選手権の出場権を賭けた重要な決戦場であり、そして世界選手権の結果は、トリノ五輪にも繋がってくる。だから2004年と2005年では重みが違う、という解説には一理あるが・・・

つまり、日本女子フィギュアスケート界の福原愛は安藤美姫と浅田真央であり、太田由希奈は実績と関係なく注目されてこなかった(というのが私=Webの主催者=の解釈)>(某サイトからの引用)

<彼らの記事を読むド素人の私は、下衆の勘繰りと承知していても太田さんの気持ちを空想せずにはいられない。女子フィギュアスケートという人気競技で世界の頂点を極めながら、街行く人の誰も自分の顔を知らない。名前も知らない。  

「安藤美姫が4回転に成功した時に優勝した人」と説明しても「そんな人、いたっけ?>(某サイトからの引用)

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