2018/07/16

自由思想家(沙門)たち(1)


 商業都市の成立に伴い、それまでの思想の担い手たちであった婆羅門以外にも多くの自由思想家たちが現れた。彼らは「婆羅門(ブラーフマナ)」に対し「沙門(シュラマナ、 努める人々、修行者))と呼ばれた。ブッダやジャイナ教のマハーヴィーラも、シュラマナの群れの中から現れた。

 原始仏典には、ブッダと同時代の思想家たちの説が様々な形で伝えられている。そのうち、『沙門果経』には、当時の代表的な六人の自由思想家たち(六師外道)プーラナ・カッサパ、マッカリ・ゴーサーラ、アジタ・ケーサカンバリン、パクダ・カッチャーヤナ、ニガンタ・ナータプッタ、サンジャヤ・ベーラッティプッタの思想が紹介されている。

いずれも婆羅門とは異なる沙門の思想で、仏教が成立したころの古代インドの思想状況を反映している。六人のうち、プーラナ・カッサパ、マッカリ・ゴーサーラ、パクダ・カッチャーヤナの三人は、アージーヴィカ派の思想家と考えられている。

1.プーラナ・カッサパの行為の善悪否定論
 プーラナ・カッサパは、行為に善悪はなく、行為が善悪の果報を齎すこともないと主張した。傷害・脅迫・殺人・強盗・不倫・虚言などを行ったとしても、悪にはならない。悪の報いはない。施し・祭式・節制・真実を語ることを行ったとしても、善にはならない。善の報いもないと説いた。

 この教えは「道徳否定論」として紹介されることが多いが、決してそのような思想ではない。パクダ・カッチャーヤナの思想と同じく、あらゆる物事を「平等」に見ることによって行為に附随する罪福へのこだわりと、その結果生まれる苦しみから心を解き放とうとする教えであろう。

このような教えは、特に生きものを殺すことを職業とするため、業・輪廻説にしたがう限り苦を果報として受けることが避けられないとされる人々に対して説かれたのではないか、と考えられる。

これは、その本質において『バガヴァッド・ギーター』の「苦楽、得失、勝敗を平等のものと見て、戦いに専心せよ。そうすれば罪悪を得ることはない。」という「平等」の教えと同じであろう。

 パーリ仏典『沙門果経』の第17節において、プーラナの思想は、次のように紹介されている。

「行為する者、させる者が、(人を)切ったり、切らせたり、苦しめたり、苦しめさせたり、悲しませたり、疲れさせたり、恐怖を与えたり、与えさせたり、生きものを殺したり、与えられないものを取ったり、家を壊して侵入したり、掠奪したり、盗みを働いたり、路上で追いはぎをしたり、不倫したり、嘘ついたりしたとしても、悪いことをするわけではない。

また、まわりが剃刀のような円盤で、(あらゆる)地上の生きものを、一山の肉、一塊の肉にしてしまっても、それによって悪があるわけではなく、悪の報いはない。

ガンジス河の南岸に行き、人を殺したり、殺させたり、切ったり、切らせたり、責めたり、責めさせたりしても、それによって悪があるわけではなく、悪の報いはない。
ガンジス河の北岸へ行き、施しをしたり、施しをさせたり、祭式を行ったり、祭式を行わせたりしても、それによって善があるわけではなく、善の報いはない。

布施、克己、節制、真実を語ることによって善があるわけではなく、善の報いはない。」

2.マッカリ・ゴーサーラの宿命論
 マッカリ・ゴーサーラは、アージーヴィカ教の代表者である。彼は、ジャイナ伝説によれば、シュラーヴァスティーにおいて、ジャイナ教のマハーヴィーラと激しい論戦の後、没したという。

その年、マガダのアジャータシャトル王が、ヴァッジ族に戦争をしかけたが、この戦争はブッダの最後を物語る『マハーパリニッバーナ・スッタンタ』に準備中として出てくる。

これによれば、ゴーサーラとブッダは、わずか数年の違いで没したことになる。ちなみに仏滅年代には二説あり、前486年、あるいは前383年とされる。

彼の思想の特徴は、厳格な宿命論にある。その説によれば、一切万物は細部にいたるまで宇宙を支配する原理であるニヤティ(宿命)によって定められている。輪廻するもののあり方は宿命的に定まっており、6種類の生涯を順にたどって浄められ解脱にいたる。転がされた糸玉が、すっかり解け終るまで転がっていくように霊魂は転生する。それまで8,400,000劫(カルパ)もの長い間、賢者も愚者もともに輪廻しつづけるという。

 行為には、運命を変える力がない。行為に善悪はなく、その報いもないと考える。当時、支配的な思想であった「」の思想を否定する。

運命がすべてを決定しているという主張を構成する論理は、およそ次のようなものである。
 
 人が同じことをしても結果が異なることがある。行為以外の何かが結果を決定している。神は、それではない。神では結果の多様さ、特に不幸が説明できない。

それは、(ローカーヤタ派が説く)自然の本性(スヴァバーヴァ)ではない。(仏教などが説く)行為の結果(カルマ)ではない。それは、宿命(ニヤティ)である。宿命と一致するとき、人は成功する。宿命のみが、人の幸福と不幸を説明する。

  「アージーヴィカ」とは「命ある (jvika)限り(ā)( 誓いを守る)」という意味で、出家者には苦行と放浪が義務とされ、多くが宿命を読む占星術師や占い師として活躍したという。

 宿命を説く一方で、苦行を義務づけるのは一見したところ矛盾のようであるが、アージーヴィカにとって解脱は「転がされた糸玉がすっかり解け終る」ことに喩えられるように、心と言葉と体による全ての行為が消滅することであり、それは6ヶ月に渡って飲食を減らしていき、最後は何も飲食せず死(最終解脱)に至る「スッダーパーナヤ(清浄なものを飲む)」と呼ばれる苦行において実現されると考えていたからである。

 アージーヴィカ教は、マウリヤ朝のアショーカ王とその後継者ダシャラタ王の時代に保護され、大きな勢力を誇った。アショーカ王の碑文に、仏教(サンガ)、バラモン教、ジャイナ教(ニルグランタ)と並んで この派の名アージーヴィカが出ており、栄えていたことを推定させる。その後、衰えながらも南インドのマイソールなどには存続し、14世紀までは続いたといわれる。

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