口語訳:宇陀に兄宇迦斯(えうかし)、弟宇迦斯(おとうかし)という兄弟がいた。そこでまず八咫烏を使いに遣って、二人に「今天神の御子がやって来た。お前たちはお仕えするか」と訊ねさせた。その時兄宇迦斯は、鳴鏑の矢を構えて待っていて、この烏を射て追い返してしまった。その鳴鏑の落ちたところを訶夫羅前(かぶらざき)と言う。さらに「待ち受けてやっつけてしまおう」と呼びかけて、味方を集めようとしたが、思うように集まらなかった。そこで表面上は天皇に仕える振りをして御殿を造り、その中に押機を仕掛けて待っていた。
弟宇迦斯は天皇に仕える気になり、そのもとに参じて
「私の兄、兄宇迦斯は、天神の御子の使いを矢で射て追い返した上、待ち受けて討とうと味方を集めましたが、思うように集まりませんでした。それで御殿を造り、その中に押機を仕掛けて、待ち受けています。そこでここに参って、事の次第を露わにお知らせする次第です」
と言った。
大伴の連の先祖、道臣命と久米直たちの先祖、大久米命の二人は、兄宇迦斯を呼びつけ、ののしって
「お前が作った大殿には、まずお前が入って、天皇に仕えるそのやり方を明らかにしろ」
と言うと、刀を握り、矛を差し向け、矢をつがえて追い立てたので、兄宇迦斯は大殿に入り、自分が仕掛けた押機に打たれて死んだ。その死体を引き出して、切り刻んだ。(辺りが血だらけになったので)そこを宇陀の血原と言う。
宇迦斯(うかし)は地名に因む名だろう。今の世にも宇陀郡に宇賀志村というのがある。【日張山(ひばりやま)の下である。】ここがこの兄弟の住んでいたところと思われる。一般に「兄~」、「弟~」という名は、その住んでいた地名である例が多い。【後に引く。】とすると、前の文で「宇陀の穿という」とあったのも、本当は宇迦斯だったのを、「うがち」と音が近いため「踏み穿ち」という故事と混同して、「穿」と名付けたと語り伝えたのだろう。だから「穿邑」というのはこの故事を伝えるだけの地名で、その地では最初から宇迦斯邑と言っていたのだろう。
【また前の文の「穿」という地名と、この「宇迦斯」という人名は、元来別のものかとも思ったが、その名は大変よく似ており、何にしても無縁ではないだろうと思う。今も実際に宇賀志村があるからだ。あるいは今の宇賀志村が、かの兄弟の宇迦斯が住んでいたことから来た地名で、「穿」とは関係がないのかとも思い、それとも穿が訛って宇迦斯となったのであって、人名とは関係がないのかなど、いろいろ考えたが、やはりこの人名と地名、また「穿」も、全く無関係とは思えない。またこの人名を書紀で「猾」と書いていることから、師(賀茂真淵)は地名でなく、「みだりな」という意味だと言ったが、そうではない。この「猾」の字は、兄宇迦斯が天皇にまつろわなかった、その人となりについて書いたのであって、必ずしも「うかし」という言葉の意味に当たっていない。この兄はなるほど「猾(みだり)」とも言えるが、弟は天皇に忠実に仕えたのだから、どうして「猾(みだり)」と言えるだろう。八十建(やそたける)も、書紀では「八十梟帥」と書いてある。これもこの人物がまつろわなかったことを言う名だ。「たける」とは単に勇猛なことを言うのだが、「梟」の意味はない。天智天皇の御子に建皇子(たけるのみこ)という名がある。皇子に「梟帥」の意味の名を付けるはずはない。これらの例からしても、「猾」の字の意味が、必ずしも言葉の意味に当たっていないことを悟るべきだ。】
兄弟の名を「兄~」、「弟~」と言っているのは、この次にも兄師木(えしき)・弟師木(おとしき)、書紀の景行の巻に兄熊(えくま)・弟熊(おとくま)などがあり、これらもみな地名に因んでいて、この宇迦斯の類の(まつろわぬ)人だ。また書紀のこの巻に兄倉下(えくらじ)・弟倉下(おとくらじ)もある。【これも地名か。】雄略の巻に兄君(えぎみ)・弟君(おとぎみ)、兄麻呂(えまろ)・弟麻呂(おとまろ)がある。女にも景行の巻に兄遠子(えとおこ)・弟遠子(おととおこ)という名がある。兄比賣・弟比賣は、この記にも幾つか例がある。
口語訳:この後、弟宇迦斯が献ったたくさんのごちそうを全部皇軍の兵士たちに与えた。この時に歌を歌って
「宇陀の高い城で、鴫を捕ろうと罠を張って待っていたが、鴫はかからず、大きく立派な鯨がかかった。古妻が「食べ物をください」と言うと、ソバの木の、長く切った身を欲しいだけ割き取ってやれ。新妻が「食べ物をください」と言うと、イチサカキのように、大きく切った身をいくらでも割き取ってやれ。ええ、しやこしや。(これは勝利を祈ったのである。)ああ、しやこしや。(これは嘲笑ったのである。)」。その弟宇迦斯は、<宇陀の水取たちの先祖である。>
大饗は「おおみあえ」と読む。【天皇に奉った饗だから、「大」と言うのである。後世に言う大饗(盛大な宴会)ではない。それは饗が大きいということを言っているだけだ。】
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