というわけで、紀元前450年頃、ギリシャにおいて、相対主義が発生したわけだが。
さて。
哲学の歴史には、ある一定のパターンがあり、だいたいの場合、以下の繰り返しである。
1)賢い人が出てきて「その時代において、もっとも説得力のある哲学」を流行らせる。
2)その哲学が世間に浸透してしまうと、行き詰ってしまい、ニッチもサッチもいかなくなる。
3)反逆者が出てきて「既存の哲学を乗り越えようとする哲学」を打ち出し、革命を起こす。
今回も、そのパターンだ。
相対主義が浸透したギリシャで、反逆、革命を起こした人が、哲学者の代名詞ともいえるソクラテスである。
そのソクラテスの紹介の前に、相対主義が浸透した結果、ギリシャ国家がどう行き詰ったか説明しよう。
そもそも相対主義っていうのは、
「絶対的な真理・真実なんてあるわけないし、仮にあっても知りえないよ。
所詮、真理や真実なんて、それぞれの人間が、自分の都合と感性で、勝手に決めたもので、相対的なもんなのさ。」
というミモフタモナイ話だ。
現代人であれば、
「そのとおりでしょ?
人間なんかに、絶対的な真理・真実なんてわかるわけないでしょ?
何か問題でもあるの?」
と相対主義の立場に、強い共感や説得力を感じるかもしれない。
しかし、とはいうものの、ギリシャだって、国家(みんなの共同体)なのだから、結局は、何らかの「正しさ」に従って、方針を決めていかないとならない。
たとえば、「次は、どの国と戦争して、殺して、財産奪って、奴隷にしようか」
などを、決めていく必要がある。
では、何に従って、国家の方針を決めていくべきなのか?
それは、結局のところ、大勢の人が納得する価値観を採用するのが一番妥当だろう。
つまりは、多数決である。
なるほど、一番、公平なやり方だ。
民主主義万歳!
だが、ここにズレがある。
だって、多数決によって、
「みんなが正しいと思うこと」を決めようとしているのに、相対主義の影響で、みんな、心の奥底では、「でも、正しい価値観なんてないよなあ」と思ってるのだ。(笑
結局、誰もが「自分の考えを決めるための価値観」を持たずに、多数決に参加してしまい、「なんとな~く、その場の雰囲気で、正しそうな意見」に賛成してしまうことになる。
そうすると、クチのうまい人、雄弁家、つまり、「ハキハキしていて、声が大きくて、もっともらしく話をする人」の意見が採用され、そういう人が権力を持ちはじめる。
「我々は、愛する国家のために、勇気と忍耐を持って、憎き敵と闘わなくてはならない!」
「わぁ~~、いいぞぉ~~」(パチパチ)
ってなもんで、こうして、豊かなギリシャで衆愚政治が始まった。
さぁ、ここで、反逆者ソクラテスの登場だ。
ソクラテスは、そんな堕落したギリシャの街と権力者に反逆したのである。
ソクラテスのやり方は、非常に巧妙だった。
ソクラテスは、そういう素晴らしい演説を行っている政治家や知識人たちのところに、「バカでマヌケのふり」をして出ていって、あまりに初歩的な質問をしたのである。
「あの~~、すみません、あなたいま、『正しい』とおっしゃいましたが、そもそも『正しい』ってなんですか?」
ここで、相手が、たとえば「正しいというのは、みんなが幸せになることだ」と、それらしい回答をひねり出しても、ソクラテスは、マヌケのふりをして、さらに問いを続ける。
「幸せってなんですか?
教えてください。」
「えーと、幸せっていうのはつまり、え~と……」
そのうち、相手はボロを出し、ついには、矛盾を指摘され、答えられなくなる。
そこで、ソクラテスは、
「な~んだ、答えられないんだ~。
じゃあ、あなたは、それについて知らないんですね。」
とトドメの言葉を浴びせて、大勢の前で、赤っ恥をかかせるのであった。
ソクラテスのやり口は、本当に巧妙である。
とにかく「自分は知らない、教えて欲しい」と言いつづけて自分の意見を言わず、相手の意見を引き出し、その矛盾をついていけばいいわけだから、そもそも議論に負けるわけがない。(みんなも議論に勝ちたいなら、この方法はオススメだよ!嫌われるけど!)
ともかく、その方法で、ソクラテスは、今まで偉そうに演説していた知識人たちの「無知」を大勢の前で暴きたてたのである。
ソクラテスは、なぜ、そんなことをやったのか?
つまるところ、ソクラテスが、市民に言いたかったのは、
「おまえら、『正しい』とか『愛』とか『勇気』とか、素晴らしい話をきいて、手を叩いて喜んでいるけど、ぶっちゃけ、本当は何もわかってないんだろ?
そして、それを言っている偉い先生の方も、本当は何もわかってないんだ。
だったら、そんな、薄っぺらい言葉なんかに踊らされたりするまえに、そもそも『正しいとは何か?』
『愛とは何か?』
それをみんなで、ちゃんと考えるべきじゃないか!」(本質の探求)
ということであり、
「そのためには、まず、『自分は、それについて知りません』という自覚を持つべきだ。
おれたちは、真実について何も知らない。
だから、『知りたい』と願い、努力するんだろ?」(無知の自覚)
という話なのである。
クチばっかりの政治家や知識人に、いい加減ウンザリしていたギリシャの若者たちは、このソクラテスの哲学と、その大胆な行動に、トテツモナイ衝撃を受ける。
こうして、若者からの圧倒的な支持を受け、一躍、偉大な師匠として祭り上げられたソクラテスであるが、このソクラテスによって、恥をかかされた政治家・知識人たちの方はタマッタもんじゃない。
当然、彼らは、ソクラテスを憎むことになる。
その結果として、ソクラテスは、「若者達に害悪を及ぼした罪」として、裁判にかけられ、「死刑」を宣告されるのであった。
このとき、ソクラテスは、死刑から、逃亡することが可能だったと言われている。
なぜか死刑の決行まで、1ヶ月も猶予が与えられ、いくらでも逃亡することができたのだ。
もしかしたら、国家も、ソクラテスを殺すよりも、惨めに逃亡してくれた方が、彼の名誉を傷つけられると考えたのかもしれない。
だが。。。ソクラテスは、逃げなかった。
自分の信念にもとづき、この死刑を受け入れることにしたのである。
もちろん、死刑の決行日まで、毎日、ソクラテスのもとには、友人や弟子が大勢詰め掛け、逃亡するように説得を試みた。
だが、ソクラテスは、最後の最後まで、自分の信念を押し通し、自ら毒を飲み、その命を絶ったのである。
(補足)
つまるところ、ソクラテスは、深遠で難解な哲学を述べたわけではない。
また、ソクラテスについては、「バカのふりをして、質問ぜめで相手を追い詰め、恥をかかせる嫌なヤツ」として捉える人もいるし、「ソクラテスを賛美することは、生命より哲学的信念を優先した殉職者を賛美することに通じる」
として、彼に対し、生理的な嫌悪感を持つ人もいるだろう。
しかし、少なくとも、相対主義がはびこる街の真ん中で、
「そりゃあ、たしかに、俺たちには、真理・本質・本当のこと、なんてわからないかもしれない……でもなぁ、
無理だと言われても、バカだと思われても、無駄だとしても、それが知りたくて、知りたくて、知りたくて、たまらないから、それを考えていくのが、哲学なんじゃねぇのかよぉぉおぉぉ!」
と叫んだ ソクラテスの素朴で熱い想いは、以後の哲学者に大きな衝撃を与えたことに間違いはない。
「物事の本質を探求する」
現代まで脈々と受け継がれている、この哲学最大の命題は、まさにソクラテスから始まったのである。
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