七夕(7月7日)
七夕とは、中国の牽牛星と織女星の星合の伝説と技芸の巧みさを乞い願う乞巧奠の行事が輸入され、日本古来の棚機津女(水辺で機を織り神の降臨を待つ)の信仰と習合したもので、水辺で神を迎え人々のけがれを託して持ち去ってもらうものである。
平安時代に習合された七夕の行事には、民間からとりいれた神の依代としての笹竹を宮中で飾り、願いごとを書いた短冊がかけられた。また梶の葉に和歌を書き、筆跡の上達を願って、その葉でそうめんを包み屋根の上へなげたり、茄子やキュウリなどの供物をささげ神の来臨を待ち、川に流す水辺の行事も行われた。七夕の食べ物には小麦粉を練って紐状とし、これを油で揚げた索餅という唐菓子があり、これを食べると疫病を免れるとされ、素麺の原型といわれている。
梶の葉
室町時代には、七遊(歌、鞠、碁、花、貝覆、楊弓、香)など娯楽的要素が多くなり、江戸時代に民間行事をとりいれ、手習いの普及や農作物の平穏無事を祈る悪霊や穢れの駆逐のための行事へと変化していった。
重陽(9月9日)
重陽とは、重九ともよばれ、陽数の九が重なる最大数のめでたい日のこと。中国では、この日は陽が極まって陰を生ずる不吉な日とされ、忌み嫌う厄除けの行事が行われた。中国の古俗では、野外に出て飲食をし、登高といって山や丘に登るなどの風習がある。また災厄を避ける伝説には、赤い袋に茱萸を詰めひじにかけて山にのぼり、菊酒を飲めば災いを免れたというのである。菊酒には、菊のしずくを飲んで700歳の老翁でありながら児童の姿(菊慈童)を保つという伝説に基づき、その芳香と気品の高さにより邪気をはらい、寿命を延べる不老不死の薬と考えられていた。
わが国では、平安期に宮廷行事として採用され、紫宸殿にて宴を賜り、茱萸袋を掛け、菊瓶を置いて悪気をはらう重陽節として盛んに行われた。菊にはきせ綿をし、菊の露が寿命を延ばし若返る象徴としてきせ綿を、一夜、夜露を含ませ、その菊の露のついた綿で身をぬぐい、不老長寿を願うのである。民間では栗飯を食べるので、栗節句とも呼ばれる。明治時代になると、祝祭日からもはずされ忘れられていくが「おくにち(お九日)」などとよばれ、氏神の秋祭りとしてこの日収穫祭が行われるようになる。
五節句以外の年中行事
五節句以外の年中行事は季節ごとの変わり目に様々おこなわれ、その節目に体内の気を充実させ、悪霊をはらいよけるための食べ物やしつらいがあり、現代の暮らしの中にいきづいている。その代表的な行事と食べ物、しきたりについて概略する。
節分(2月3日)は、煎った豆をまき年の数と一つ余分に食べて無病息災を祈る。柊や鰯の頭を玄関に飾り魔よけとする。地方により恵方巻きを食べる。
お彼岸は、春分の日、秋分の日を中日として過ごしやすい季節に先祖の供養を行う。墓参りや仏壇の掃除をし、仏前にぼた餅(「おはぎ」とも呼ばれる)や彼岸団子を供える。
花見は、3月下旬から5月にかけて桜の木の下で山の神にお酒やごちそうをささげ、豊作を祈願する。花見酒や花見弁当をひろげ宴会が行われる。
盂蘭盆とは、陰暦7月15日、現在では8月15日を中心に先祖の霊を祭る行事。精進料理と野菜や果物、菓子を盆にのせ仏前に供える。
月見(9月15日、旧暦8月15日)は仲秋の名月ともよび、秋の収穫をひかえ豊作を祈願する行事。ススキの穂を飾り、月見団子や里芋を月に供える。
七五三(11月15日)とは、子供の無事な成長を祈る行事。男子は3才、5才、女子は3才、7才のとき晴れ着を着て神社に参拝する。千歳飴や赤飯で祝う。
冬至(12月半ばすぎ)とは、一年で最も日中の長さが短くなる日。「ん」のつく食べ物を食べ運を呼び寄せるとされる。主にかぼちゃや大根を焚いて食べ、ゆず湯に入る。
大晦日(12月31日の夜)とは、正月の歳神様を眠らないで迎える日。除夜の鐘をききながら年越しそばを食べる。細く長く寿命が延びるように願うとされる。
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人生儀礼
毎年同じ時期にめぐってくる年中行事以外に、人生儀礼とよばれる人が生まれてから死ぬまでの人生の節目がある。人生儀礼には出産、誕生、成人、結婚、還暦、葬儀といった人の一生の流れがあり、それぞれの儀礼では人と人とがかかわりをもって、社会関係をなごやかにすごすための意味合いが込められている。
現代では、人生儀礼の意識も規模も薄れつつあるが、冠婚葬祭の儀礼食の中には伝統的な特別な日の食べ物がいくつかある。伝統的な儀礼食は、かつては個々の家や地域で手作りされていたものであるが、現在では市販のものでも用意できる。
例えば、祝い事には赤飯や餅、鯛、祝いまんじゅうなど、特に赤い色がついたものが邪気をはらい厄よけの意味をもつと信じられ、慶事の行事に用いられる。葬式などの弔事では、精進料理といった宗教的な行事食が用意される。
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