2003/06/10

モラトリアムpart1



 とにもかくにも、新しい住居は決まった。
 
 (オレのような優れた人材を、世間が放っておくはずはない・・・)
 
 社会人デビュー前から、直ぐに引く手数多とタカを括っていたが、大企業ならともかくマイナーな小企業から、まさかのNGが続いた。
 
 (そんなバカな・・・もしやオレが優秀すぎて、小さい組織からは僻みや嫉妬で敬遠されてしまっているのだろーか・・・)
 
 などと、世間知らずをいい事に臆面もなくこう信じていたものの、一方では紛れもない現実として世間の厳しさを肌で知る事となり、まったく思いもしなかった多難な前途を感じさせる船出となってしまった。
 
 後になって振り返って考えれば、この当時の就職活動が上手く行かなかった原因はハッキリしており、なんと言っても学生気分のまったく抜けきっていなかった、当時の非常識さに負う所が大きかった。
 
 学生時代に、集団での就職活動という経験を経て来なかった事も大きなツケとなって、基本的な社会のルールがわかっていない。
 
 そもそも、会社訪問の時すらスーツを着ていったためしがなかったのは、日本の社会風土にあっては、能力以前に論外だった。
 
 より正確には、着ていったためしがなかったというよりも、そもそもスーツを一着も持っていなかった
 
 それ以前に、面接にスーツを着て行こうという心構えすら、サラサラなかった。 
 
 (なーに、服装ではなく人間性で勝負だ・・・服装で人間性を否定するような会社なんぞは、こっちからお断りじゃ) 
 
 などと独り善がりの美学に酔っていたはいいが、実際に着ていくのはGパンにセーターという普段着そのままだったし、髪もボサボサの長髪のままでは第一印象からしてNGもやむなしだったろう。

 さらには、当然のことながら社会人としてのマナーもまったくゼロである。
 
 社会人マナーといえば、まずは名刺交換だ。
 
 といっても就職活動中だから、まだ名刺は持たずにもっぱら貰うだけの立場だったが、この社会人マナーの基本中の基本ともいえる「名刺交換」に関しては、カネガネ非常な疑問を抱いていた
 
 名刺交換くらいは自分で経験がなくても、世間のあちこちで日常的に目にするものだから、単純に見よう見真似で何とかなりそうなものだが、悪いことに 
 
 (たかだか名刺のようなものを、大の大人がなんであんなに腰を折ってまで、仰々しく押し戴く必要があるのか?)
 
 という固定観念が頭にこびりついていたから、始末が悪い。
 
 (いかに大企業の取締役であろうが、麗々しい肩書きがずらずらと並んでいようが、名刺それ自体に高潔な人格が宿っているわけでもないし、言霊のような魂が篭められているわけでも、勿論ない。
 
 所詮は「たかが小さな紙きれ」に過ぎないではないか!
 
 たかがあんな紙切れを、大の大人が腰を屈して仰々しく押し戴いている図は、実に滑稽以外の何物でもない!
 
 このような考えは脇に追いやって、ともかく見よう見真似で世間体だけを取り繕っておくのが処世術というものだろうが、こうした考えを持ってしまうともうダメで、どうしても
 

 「バカバカしい (`Д´)y-~~ちっ」


   というような態度が、露わとなってしまうのであった。
 
 そうして時に無作法を咎めるような視線に出くわすと、余計にバカバカしくなってしまうという悪循環である。
 
 これはあくまでも一例だが、一事が万事こんな調子だったから、日本のような形式主義のシステマチックな社会においては、すでに能力以前にスタートラインにすら立たせてもらえないというのが、実情であったろう (* ̄m ̄)ブッ

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