●名古屋城の金鯱
1612年(慶長17年)、名古屋城天守が竣工した当時のものは一対で慶長大判1940枚分、純金にして215.3kgの金が使用されたといわれている。
高さは約2.74mあった。
しかし、鯱の鱗は藩財政の悪化により、都合3回に渡って金板の改鋳を行って金純度を下げ続けた。
そのため最後には光沢が鈍ってしまい、これを隠すため金鯱の周りに金網を張りカモフラージュした。
この金網は、表向きは盗難防止(実際に何度か盗難にもあったこともある)や鳥避けのためとされ、戦災により焼失するまで取り付けられていた。
1871年(明治4年)に政府に献納され、東京の宮内省に納められた。
その後、雄鯱は国内の博覧会を巡り、雌鯱は1873年(明治6年)のウィーン万国博覧会に出品された。
金鯱が大天守に戻ったのは、1879年(明治12年)2月である。
徳川の金鯱の中では最も長く現存していたが、1945年(昭和20年)に名古屋大空襲で焼失している。
焼夷弾で焼失した金鯱の残骸は戦後GHQに接収され、のち大蔵省に移ったが1967年(昭和42年)に名古屋市に返還された。
名古屋市は残骸から金を取り出し、名古屋市旗の冠頭と金茶釜に加工して保存している。
現在のものは復元されたもので、復興天守建造の時に、全国でも数えるほどしか残っていなかった鎚金師で、大阪造幣局職員の手により復元製造された。
一対に使用された金の重量は88kgである。
●盗難事件
金鯱の鱗の盗難事件は、何度も発生している。
江戸時代、大凧に乗って金鯱に近づこうとした柿木金助の伝説がある。
明治以降では3回発生し、犯人はいずれも盗んだ鱗を鋳潰し売却しようとして逮捕されている。
ただし、3回目の事件のときは下賜記念事業中だったため、当時の名古屋市長が引責辞任する事態となった。
●金鯱が公開された金鯱ドーム
市民にお披露目される金鯱名古屋城の金鯱が、2005年(平成17年)3月24日に開会した愛・地球博の開会式典で展示された。
これまでにも名古屋城の博覧会開催により、天守から地上に降ろして名城公園内の博物館に展示された事はあった(今回の場合は、愛・地球博に併せて開催された新世紀・名古屋城博のための展示だった)が、外部施設での展示は1959年(昭和34年)に再建されてからは、初めてのことだった。
●お堀電車
名古屋城三の丸を囲む外堀の底には、明治後期から昭和後期にかけて電車が走っており「お堀(濠)電車」とも呼ばれた。
大曽根と瀬戸との間を結んでいた瀬戸電気鉄道が、名古屋城西側の堀川の水運を利用した瀬戸物輸送の便と名古屋官庁街への乗り入れを図り、1911年(明治44年)5月23日に土居下〜大曽根間、10月1日に堀川〜土居下間を開業させた。
土居下駅は三の丸北東部の外堀にかかった位置にあり、そこから外堀の中を通って南下、南東隅部で右折して西進し、南西隅部の堀川駅まで複線線路が敷かれていた。
城の堀の中に線路を敷く例は、中央本線四ツ谷駅付近などでも見られるが、ここでは堀の原形を保ったまま線路が敷かれているのが特徴である。
その代わり、堀の角部で半径60mの急曲線があったり、本町駅構内の複線分の幅員がない部分に、日本鉄道史を見渡しても採用例の極端に少ない単複線(ガントレット、狭窄軌道)という構造を用いるなど、線路敷設には苦労の跡が見られた。
瀬戸電気鉄道は、1939年(昭和14年)に名古屋鉄道と合併して名鉄瀬戸線となったが、戦後、瀬戸線の栄地区への乗り入れが決定し、工事が着工された1976年(昭和51年)2月15日をもって、堀川〜土居下間が休廃止された。
現在、ごく一部を除いて鉄道施設は全て撤去されており地表からは殆ど確認できないが、わずかにガントレットポイント跡をまたぐ本町橋の煉瓦アーチ、旧大津町駅駅舎跡へ降りる階段(立入禁止)などを観察することができる。
●遺構・文化財
第二次世界大戦前は、旧国宝24棟を始め多数の建造物が城内を埋め尽くしていたが、1945年(昭和20年)5月14日、米陸軍のB-29による焼夷弾により天守を含む殆どを焼失した。
現在残る尾張藩時代の建物は6棟(本丸辰巳隅櫓、同未申隅櫓、同南二之門、旧二の丸東鉄門二之門(現在本丸東二之門跡に移築)、二の丸西鉄門二之門、御深井丸戌亥隅櫓)のみ。
全て重要文化財である。
昭和27年(1952年)3月29日に、城域内が国の特別史跡に指定された。
このほか、二の丸北側の石垣上に「南蛮たたき」の工法で固められた土塀の遺構が現存している。
●現存する重要文化財
・西南隅櫓
・東南隅櫓
・西北隅櫓
以上4棟は1930年(昭和5年)、国宝保存法に基づき当時の国宝に指定、1950年(昭和25年)文化財保護法施行に伴い重要文化財となる。
・二之丸大手二之門
・旧二之丸東二之門
以上二棟は、1975年(昭和50年)、重要文化財に指定。
・旧本丸御殿障壁画 331面(附16面)
・旧本丸御殿天井板絵 331面(附369面)
※Wikipedia引用
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