2006/11/25

シベリウス ヴァイオリン協奏曲(第1楽章)

 


シベリウスは「音楽界の三大ブオトコ」としても有名であり(後の二人は、ドヴォルザークとシューベルト)、そのコンプレックスのせいかどうかはわからないが、極度のあがり症だったといわれる。

 

14歳ぐらいの時に、初めてヴァイオリンを手にしてから演奏に夢中になった若きシベリウスは、ヴァイオリニストになることを目指していた。「森と湖の国」フィンランドらしく、舟を漕いで誰もいない湖の中にある島で練習していたそうな。姉がピアノ、弟はチェロを弾いて、兄弟で室内楽も楽しんでいた。

 

その後、音楽大学(今のシベリウスアカデミー)ではトップの腕前を持つ程にもなったのだが、極度のあがり症のため人前では演奏できなかった。ある時は、メンデルスゾーンの協奏曲を演奏しようとステージに立ったが、何も演奏できずそのままステージから降りてきた事もあった、というくらいの重症である。ウィーンフィルのオーディションを受けたが、勿論惨敗。こうして人前での演奏に限界を感じたシベリウスは、作曲家に転向をはかったというから、これは我々にとってまことにありがたい結果となった。唯一の協奏曲となった本作品も、ヴァイオリンを独奏楽器とする作品である。

 

シベリウスの作風は交響的でありながら室内楽的な緊密な書法を基盤としており、独奏者がオーケストラと対等に渡り合い、名人的な技巧を披露することを目的とする通例の協奏曲とは必ずしも相容れない。本作は、シベリウスの創作の比較的初期、交響曲第2番と第3番との間に作曲されており、上記のような室内楽的書法が確立する前の作品ではあるが、従来の協奏曲の殻を破ろうとする意志が強く表れており、作風を成立させるに当たっての過渡的とも言える作品となっている。

 

作品の約半分の長さを占める第1楽章が、この曲の中心的役割をなす。冒頭でヴァイオリンで奏でられるテーマは、息の長いロマン的な旋律で初期のシベリウスの特徴として見られるものであるが、曲が進んでいくと管弦楽の書法がより後期の、短いモチーフを連ねるタイプに変わっていくように感じられる部分がある。ソナタ形式のような構成であるが、第3主題まであり、再現部ではいずれの主題もかなり異なった形であらわれる。提示部と再現部の間に、カデンツァがあるのが興味深い。

 

シベリウスは、第1楽章の冒頭部分に関して

「極寒の澄み切った北の空を、悠然と滑空する鷲のように」

と述べている。通例は楽章の最後に置かれるカデンツァが、ソナタ形式の展開部にあたる楽章の中央に位置するのがこの作品の最大の特徴であり、このカデンツァはそれに値するだけの精緻な主題操作で構成されている。ソナタ形式の原理に当てはめるならば、カデンツァの後が再現部となるが、通常のソナタ形式の再現部とは異なり、各主題は大きく変化した形で再現される。ここでも入念に展開がなされており、再現しながら展開するという独創的な形になっている。交響的な重厚な響きや緊密な構成など、いかにもシベリウスらしい独創性に富んだ楽章で、そのスケール感は古今のヴァイオリン協奏曲の中でも屈指の名楽章である。

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