協奏曲の通例どおり急-緩-急の3楽章からなるが、特に第1楽章に強い独創性が認められる。独奏楽器の技巧性よりも、交響的な重厚な響きと緊密な構成が特筆されるが、元々シベリウスがヴァイオリニスト志望であったこともあり、この曲はヴァイオリンの技巧、音色を十分に発揮できるものになっており、古来著名なヴァイオリン奏者が数々の録音を残している。
作曲の年代は、交響曲第2番と第3番の中間にあたり、作曲手法そのものが大きな変化を遂げている時期にあたる。他の幾つかの作品もそうであるが、初稿の演奏後に大幅な改訂を行なっている。
この曲の作曲に関わる記録は、早くは1902年9月の妻への手紙に見られる。当初は、ヘルシンキ管弦楽団(後のヘルシンキ・フィル)のコンサートマスターを務めたブルメスターに献呈する意図で作曲が進められたが、経済的な理由からブルメスターの都合の前に初演することになった。改訂稿の演奏も再三ブルメスターからの申し出があったものの、ベルリンでの初演にまたもや都合が合わず、別のヴァイオリニスト(ノヴァーチェク)になった。ブルメスターは、2度とシベリウスの作品を演奏することはなかったという。
改訂稿の完成後、シベリウスは初稿の演奏を禁止したが、1991年に遺族の許可の下、レオニダス・カヴァコスの独奏、オスモ・ヴァンスカ指揮のラハティ交響楽団により録音が行われた。意外とあっけなく終わってしまう終楽章は、ヴァイオリンとオーケストラが一体になった形で曲がまとめられている。ロンド風に、最初のテーマがティンパニの連打に乗って繰り返される。
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