学生時代に西宮の大学に彼女がいた関係で、愛車のスカGを飛ばして足しげく通っていたワタクシにとって、西宮に隣接している「尼崎」という地名には、すっかりお馴染みでした。
そんな余談はさておき「尼崎」という地名が歴史上初めて登場するのは、平安時代の末から鎌倉時代初め頃の事です。このころ書かれた「大物(だいもつ)浜・長洲(ながす)浜請文」(真福寺文書)という史料に
「尼崎浜は大物(だいもつ)の南、河を隔て久安以後の新出地なり」
と記されていて尼崎が久安年間(1145~51)ころ、新たに形成された土地の名前である事がわかります。
現在の阪神尼崎駅から大物駅にかけての南側あたりが、元々の尼崎という地名の場所に当たります。先の古文書に出てくる長洲浜というのは、当時の猪名(いな)川・神崎川の河口に近い場所で、奈良の東大寺や京の鴨社の荘園がありました。大物や尼崎は、その長洲浜のさらに南に形成された砂州が陸地化し、港町となっていった場所です。
尼崎は、鎌倉・室町期の記録には「海士崎」「海人崎」「海崎」とも書かれており、いずれも読みは「あまがさき」と考えられます。「あま」という言葉は、今日では海に潜って貝などを採る女性を指しますが、古代・中世においてはより広く、漁民・海民を意味していました。また「さき(崎)」は岬にも通ずる言葉で、今日でも海に突き出た場所を指す際に使われます。つまり漁民・海民が住む、海に突き出た土地というのが、地名の由来と考えられます>
ポリネシア語による解釈
尼崎は「海人(あま)崎」(海人が住んでいた崎)からと解されています。この「あまさき」は、マオリ語の「アマ・タ・キ」、AMA-TA-KI(ama=outrigger of a canoe;ta=dash,lay;ki=full,very)、「カヌーのアウトリガー(安定浮子)のように十分(海に)突き出している(細長い崎のある土地)」の転訛と解します。
出典http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
出典http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
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