2006/12/31

大晦日の静寂

 早いもので東京で迎える正月も、これで三度目である。一昨年、昨年と、二年続けて『東京正月料理の暴利』というタイトルで綴って来たように、今年もシリーズ物として期待した人がいたかもしれないが(んなワケないかw)、今年は刺身など日持ちのしないもの以外の、すなわち蒲鉾やら伊達巻やらは「正月料金」になる直前に早々に買い込み、すっかりと準備万端を整えていた (`m´+)ウシシシ

ワタクシもバカではないから、少なくとも人並み程度の学習能力はあるのだ。たかが魚のカスのようなものや、玉子焼きに1000円も払うバカを、今年は笑う側である ( ̄ー ̄)ニヤリッ

よって例年のように、正月商戦の狂騒に乗せられるわけでもなく、今年は必要なものだけを最低限買うに止めたため、恒例の「お買い上げレシート公開」もない(とは言え、トータルでは例年通り1万円は優に超えていたのは、言うまでもないが・・・)

つい数日前に、伊東(伊豆)で旨い魚をタラフク食べて来た事も影響してか、例年に較べて食べ物に対する欲求は既に満たされている気がする。

 さて、正月といえば初詣だ。正月三が日の初詣人出で、毎年トップの明治神宮のある原宿までは家から約30分程度の距離である。正月三が日で三百数十万人というのを、一体どうやって数えるのかは知らないが、過去の実績に照らして三日で三百万人以上(つまるところ、一日当たり百万人以上)もの人間が押し寄せてくる事が確実に推定出来るような場所へ、好んで出向くほど混雑が好きでも酔狂でもない。

寺社の拝観は好きだが信仰心はまったくなく、一貫して無宗教という最悪の宗教(?)を貫いているのでもあり、所詮生きる上で頼れるものは己の頭脳と技術だけだと割り切っているから、神仏に手を合わせるような事はありえない。そんなワタクシとしては、正月は家に閉じ籠もって水のように穏やかに過ごすのみである。

今年の締めくくりとしては「良いお年を」と書くべきところだろうが、元来がヒネクレ者のワタクシは、この「良いお年を」という言葉が、どうにも納得しかねる。「今年が良い年になるように」と年頭に言うのなら話はわかるが、仕事納めや大晦日に「良いお年を」などと言って別れたところで、もう幾らも時間が残ってないのに・・・と思ってしまうのは、ワタクシだけなのだろうか?

或いは、年越しだけでなく新しい年の事を言っているとか、なんらか裏の解釈があるのかもしれないが、どうにもしっくり来ないのである。

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