2007/06/03

ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲(第2楽章)

 


 18061223日、アン・デア・ウィーン劇場にて、フランツ・クレメントの独奏により演奏された。

 

 この時までベートーヴェンの作曲は完成しておらず、クレメントはほぼ初見でこの難曲を見事に演奏して、聴衆の大喝采を浴びた。しかし、作品自体については構成に対する批判があり、その後演奏される機会は極めて少ない作品となった。これを再び採り上げ『ヴァイオリン協奏曲の王者』と呼ばれるまでの知名度を与えたのは、ヨーゼフ・ヨアヒムの功績である。

 

 このヴァイオリン協奏曲は初演当時、かなり冷たい反応と評価を受けていた。

 

 「若干の美しさはあるものの、時には前後のつながりが全く断ち切られてしまったり、いくつかの平凡な個所を果てしなく繰り返すだけで、すぐ飽きてしまう」

 

 「ベートーヴェンがこのような曲を書き続けるならば、聴衆は音楽会に来て疲れて帰るだけである」

 

 まったくもって、糞味噌なけなされかたである。「評論家」というものの本質は、何百年たっても変わらないものだ。このような批評のためか、その後この作品は殆ど忘却されてしまい、演奏会にかけられることもなくなってしまった。

 

 その様な忘却の淵から、この作品をすくい上げたのが当時13歳であった、天才ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムである。1844年のイギリスへの演奏旅行で、この作品を採り上げ大成功を収め、それがきっかけとなって多くの人にも認められるようになっていった。

0 件のコメント:

コメントを投稿