約束通りD社のK氏からは、翌日午前に電話が入った。
「昨日、お伝えした条件で、やっていただく意思はありますか?」
「昨日もお伝えした通り、残念ですが辞退させていただきます」
「わかりました・・・では先方には、そのように伝えておきます」
「よろしくお願いします」
こうして、この話は消滅した・・・かに見えた。が、話はこれで終わらなかった。
D社のK氏に断って少し時間が経過した時、A社のT氏から電話が入ったのである。
T氏には、最初の面接の後でランチに誘われパスタをご馳走になっていたが、その時に携帯の番号を聞かれて教えていた。
しかし、ここで掛かってくるとは思っていなかった。
「今、Jさん(A社とD社の間に入っている会社の担当=社長)から連絡があって、にゃべさんが辞退したいと言ってるって事だけど、本当にそうなの?」
通常は、このように間の会社を飛び越えて、紹介元の先の会社の担当者が直接連絡してくるような事はあまりないが、稀になくはなかった。
「さきほど、紹介元の営業に伝えましたよ。私の方では引き伸ばしたくないので、昨日のうちに返事をしたんですが・・・」
「ちょっと待ってよ。えー、これってどういうこと?」
先方から断られる事はあっても、技術者の方から辞退というのは考えてもいなかったらしく、T氏は寝耳に水の様子だ。
通常であれば、先方からOKが出れば無条件で参画する技術者が殆どなのだろうから、無理もないかもしれない。
「それは困る困る。本当に困るよ・・・これで断られたら、うちにはN社の仕事が来なくなっちゃうよ」
「そう言われても、どうにもなりませんが・・・」
「もう一度、考え直してくれないかな?
どうも誤解があるみたいだから、ちょっと話がしたいが都合はどうですか?
どこかでお会いしましょう・・・」
「いや・・・誤解も何も、紹介元から提示された条件が低いので、話にならなかっただけですが」
「多分、そういうことだと思ってたんだよ・・・それなら全然、心配はないから今からでも、新宿とかに出てきてもらえないですか?」
「出るのは構いませんが・・・」
この場合、「話」の内容におおよその察しが付くだけに、少し躊躇いがあった。
「とにかく話をしましょう。どうもアナタの窓口になっている会社のところで、おかしな話になってるようだから」
「大体の趣旨は、わかりましたが・・・しかしこの話に関しては、一応D社からの紹介だったという経緯があるので、この段階で直接Tさんと会って後々、面倒なことになるのは嫌だな・・・」
「それなら全然、問題はないです」
と、T氏は断言した。
「なぜなら、先ほどE社のJ社長から
『この件について自分は手を引くことにするから、後はよろしく頼む』
と、連絡が入りました。このような形で、N社の仕事を断る方が今後よっぽど不利益だから、ともかく新宿で会って話をしましょう」
というと、せかせかした様子で電話を切るT氏。
さて、どうしたものか・・・と考えた。
(これは、面倒な事になったのか・・・ハタマタ面白い展開になってきたのか?)
ここで一旦、これまでの経過を整理をしてみる。
まずD社からこの案件の話が来たが、条件が合わずに断った。本来なら、この時点でこの案件は消滅するところだったが、それでは困るとA社のT氏からお誘いが掛かった・・・
勿論、このお誘いはA氏から直接に声が掛かったものだから、D社は言うまでもなくD社とA社の間に入っているE社も知らない事だと思っていたが、T氏によるとE社のJ社長からは
『この件について自分は手を引くことにするから、後はよろしく』
と、連絡が入ったということだった。もしD社がこれを知ったとしたら、これは「反則」だとクレームが出るのは間違いないだろうし、少なくともD社のK氏からはクレームが入るだろう事も、また間違いがない。
当然のことながら、間に入っている会社はそれなりのマージンを取っているから、D社よりはエンドユーザーに近いA社と直接に契約を結べば、単価に大きな開きが出る。だが、D社の立場からすると
「ウチを通して知り合ったA社と、直接取引きをするのは(違法までは行かないが)反則である」
と抗議するであろうし、企業としてはそうするのが当然だろう。
こちらとしてもトラブルは嫌だから、これまでこのような事は勿論、したことがない。それどころか、例えばこんな例も珍しくない。
XとYという二つの企業があるとして、この両社に面接に行ってX営業のA氏やY社長のB氏とも顔見知りとなっているとする。こうしたケースで、XのA氏からの依頼で面接行ったとしよう。
「間に入っている取引会社の担当に引き渡しします」
と言われて待っていたら、この「間に入っている取引会社の担当」というのが、YのB社長であった・・・
この場合、Xと契約して仕事をすると、当然のことながら間に入っているYが幾ばくかのマージンを搾取するのだから、こちらとしてはYに
「そんな案件があるのなら、なんで直接声を掛けてくれなかったんだ?」
と抗議したいところだが、敢えて言わないのが暗黙のルールのようになっている。
こうしたケースでは、幾ら
「何故YのB氏は、Xではなく直接声を掛けてくれなかったんだ?」
と思ったとしても、現実に声を掛けてきたのはYのB社長ではなくXのA氏だったのだから、たとえYのB社長と面識があったとしても、この場合は知らない会社と同じ扱いでXと契約する事になるのだ。
「Yと直接契約した方が儲かる」のは間違いないが、そうはしないのが紳士協定のようになっていた。
「たまたま商流の中に、知った会社が入っていた」として、諦めるのである。勿論、この辺りは技術者によって考え方が違うから、そんなくだらない紳士協定よりも「実」を取る者もいるはずだが、やはりそうした事は噂になったり信用に関わる部分でもあるから、大体はワタクシと同様に考える者が多いのだろうと思う。といっても勿論、そうした事をしてはいけないなどという法の縛りはないから、これはあくまでも「倫理」とか「道義」の問題になる。
このような考えに基づけば、今回「Aとの直接契約」というのは本来なら乗れない話だったが、今回に限っては事情が違った。
T氏が言っていたように、E社のJ社長が『自分は手を引くから、後はよろしく』
と言ったという話が本当であれば、もしD社が幾ら息巻いたとしても、この案件に関する限りD社に至るパイプは既に切れてしまっているため、話はまったく違ってくる。そしてT氏の話自体が、嘘か本当か実際のところはわからないが、あえて疑う根拠はなかった。
そうした考えを整理した上で、率直に伝えると
「J社長が
『自分は手を引くから、後はよろしく』と言ってきたのは事実です。だからアナタの窓口になっている会社は、J社長が手を引いた時点でこの案件は自動的に消滅したのだから、まったく関係がないですよ」
と断言した。
0 件のコメント:
コメントを投稿