2019/11/11

ディオゲネス(5) ~ ディオゲネスの正体

出典http://www.ozawa-katsuhiko.com/index.html

奴隷となったディオゲネス
 ディオゲネスが、アテナイの対岸のアイギナ島に行こうと船に乗り込んだところ、海賊に襲われてクレタ島まで連れて行かれて奴隷として売り飛ばされてしまった、という事件が伝えられています。こんなことは当時、よくあった話ですのでこの話しは事実らしいですが、こうして彼はコリントスのクセニアデスという人に買われて彼の奴隷となり、そしてコリントス(アテナイからほど遠くないポリスで、歴史を通して重要なポリスでした)で生涯を終えることになったようです。先に紹介した「アレクサンドロス大王と日向ぼっこ」の話は、このコリントスが舞台となっています。

 しかし、これまで見た逸話はアテナイを舞台にしていますので、そうするとこの奴隷にされたという事件は、ディオゲネスの晩年だと考えられます。ともかくこうして彼が奴隷として売りに出されて、お前はどんな仕事ができるのかと問われて「人間を支配することだ」と答え、たまたまそこに来合わせていた立派な衣装をつけた男を指さし「あの男には主人が必要である、あの男に俺を売れ」と言ったといいます。その男は、いいなりにディオゲネスを買ったのですが、それがコリントスのクセニアデスというわけでした。ディオゲネスは、クセニアデスに向かって「たとえ自分は奴隷として買われたのだとしても、自分の指図には従ってもらわねばならぬ、それはちょうど医者や航海士が奴隷であっても、その指図にはしたがわねばならないのと同様だ」と言ったといいます。

 クセニアデスは、どうも「ディオゲネスの正体」を見抜いていたようで(アテナイで、ディオゲネスを見知っていたのかもしれません)、その言を受け入れ自分の息子達の教育ばかりか、家のこと一切をディオゲネスに任せてしまったといいます。こうされて、ディオゲネスの方も家政すべて万事うまく処理していったので、クセニアデスは「自分のところには福の神が舞い込んだ」と大喜びで吹聴して歩いたといいます。

 一方、ディオゲネスの知人がこの事を知り、身代金を払って彼を買い戻してやろうとしたところ、ディオゲネスは「ライオン(つまり自分)を飼っているとして、ライオンを怖れている方(つまりクセニアデス)がライオンの奴隷(つまりクセニアデスの方が自分の奴隷)なのだ」と言って、その身請けを断ったといいます。あるいはディオゲネスは、このクセニアデスのところが気にいったのかもしれません。彼は、このクセニアデスの息子達の教育に全力をつくしているのです。

まず通常の子どものやる学業(読み書きソロバン)を教え、ついで乗馬、弓術、石投げ、やり投げを指導し、さらにレスリングの訓練に通わせたけれど、ここでは競技選手向きの訓練ではなく「健康で強靱な体を作ること」に専念させたといいます。今度は「詩人や散文作家、また自分の著作の中から数多くの章句」を覚えさせ、また学んだことが「記憶にとどまるよう、あらゆる方法を練習」させたといいます。生活の方では、「身の回りの事は自分で始末できる」ようしつけ、粗食に甘んじさせ、水だけを飲ませ(つまり、ワインはのませなかった)、髪は短く刈り、飾り物などつけさせず、下着もつけさせず、靴もはかせず裸足のままで、口はキリッと結び、しっかり前をみてキョロキョロあたりを見回すようなことはさせず、また時には狩りにも連れていったといいます。

 その息子達も、ディオゲネスを敬愛して慕い、彼が死んだ時には、この息子達によって葬られたといいます(別伝では、ディオゲネスの弟子達がこの埋葬の主体となるべくその息子たちと争い、協議した結果コリントスに近いイストモスに両者で埋葬したとも言われます)。

ディオゲネスの正体
 このコリントスでのディオゲネスの姿は、アテナイにあって「犬」といわれた「奇行のディオゲネス」とは何やら違う感じがします。「有徳で良き教育者」のディオゲネスがいるからです。しかし、おそらくディオゲネスの正体はこちらにあるのだと考えられます。つまり、その「犬のような奇行・皮肉・噛み付き」というのは「腐敗した社会に対する哲学者の戦い」としての「戦士の姿」なのであり、鎧をとった時の彼の正体は、このコリントスでのクセニアデスの家の中でのディオゲネスであったのでしょう。とにかく、彼は一生懸命誠実に生きていきたかったのでしょう。

 これについても、彼がもう老境にさしかかった時、もう年なのだからゆったり暮らしたらとアドバイスされた時、彼は、「もし長距離レースを走っていて、ゴール近くになったとき一層力を入れるのではなく、力を抜けとでも言うのかい」と答えたという逸話が伝えられています。「生きている限り、最後の最後まで全力で生きるべきだ」という人生に対するディオゲネスの態度が、良く伝えられた言葉です。

 実は、そうしたディオゲネスの正体をアテナイの人々も見抜いていたようで、アテナイの人々は彼が若者達に乱暴されているのを目にした時、その若者達をひどく仕置きをしたと伝えられ、またある若者が彼の住居にしていた酒瓶をわざと割ってしまったとき、アテナイの人々はその若者をひどく懲らしめ、ディオゲネスのために別の瓶を用意してやったとも言われています。ですから、このディオゲネスを伝えているディオゲネス・ラエルティオスは「アテナイの人々は、彼を愛していた」という言葉まで使っているほどです。そして彼の講義の聴講者の中には「誠実な人」とあだ名をとっていたポキオンや、多くの各界の指導者達が混じっていたと言われています。

 ディオゲネスは、哲学をすることについて「他に何がなくても、少なくともどんな運命に対しても心構えができていることだ」と答えたと伝えられていますが、これは後のストアの精神にそのまま受け継がれていきます。また「教育・教養」について、それは若者にあっては「節度の獲得」、老齢の人には「慰め」、貧しい人々にとっては「財産」、富める人たちにとっては「飾り」である、という言葉もよく知られています。

 こんなディオゲネスであったために、哲学を志した人々、つまり「生きることを誠実に考えようとした人々」は「第一にソクラテス、第二にディオゲネス」と呼んで、彼らの精神を受け継ごうとしていたのでした。

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