新(しん、8年 - 23年)は、中国の王朝。前漢の外戚であった王莽が、前漢最後の皇太子の孺子嬰より禅譲を受けて立てた。成帝の時、王莽は新都侯(新都は荊州南陽郡に存在する)に封じられたことにより、国号を新とした。莽漢とも呼ばれる。
周の時代を理想とした政策を行なったが、その理想主義・復古主義的な政策は当時の実情に合っておらず、国内は混乱。また、匈奴や高句麗に対して高圧的な態度を取ったためにこれらの離反を招くなど、その統治は失敗に終わり、国内には不満をもつものが多くなった。[要出典]
具体的な政策としては、古代の名称に合わせた地名や役職名の頻繁な改名、井田制の導入による小作農民のための農地の国有化、奴隷売買の禁止、高利貸しに対し国家による安い金利での融資などを行った。また、貨幣制度改革として五銖銭を廃止し、金銀貨に加えて布貨(鍬の形の銅貨)や貝貨・亀貨などを導入(制度が複雑で経済が混乱したあげく、私銭鋳造を認めるまでになった)、塩や鉄を国が専売制とするなどの政策があったが、経済政策では地主や高利貸し等から、貨幣鋳造や塩鉄の統制では民衆から、大きく不満と反対が起きた。
また諸侯王を公に、冊封国王を侯に格下げしたことで、後者の諸国は反発し冊封から離脱する。これに対して新朝は懲罰戦争を起こし、匈奴には30万人、西南の句町国には20万人の兵を派遣し、後者では6 - 7割が餓死・疫病で死んだとされる。[要出典]
やがて赤眉・緑林の乱が起こり、更始帝の軍により長安を落とされて王莽は殺され、1代限りで滅んだ。
出典 Wikipedia
武帝の死後、地方での豪族の成長が目立ってきます。奴隷や小作農をたくさん使って、大農場経営をおこなった。教科書、資料集をみると、豪族の館の写真が出ているね。これは、豪族の墓から出土する、塼と呼ばれる瓦の絵です。当時の生活などが描いてある。館の周りは塀をめぐらせてあって、物見櫓もある。鎌倉時代の武士の館に感じが似ている。実態も案外、それに近いんではないかな。
ただし、漢では郷挙里選という官吏登用制度がおこなわれていましたね。豪族の子弟は、この制度によって官僚として中央政界に進出した。ここが鎌倉武士と違うところ。
さて、武帝死後の漢の宮廷では、権力闘争がさかんにおこる。権力闘争の主役は、宦官と外戚です。
宦官については、以前も出てきましたね。男性の性器を切り取られた身分の低い者たちです。奴隷に近い身分なんですが、彼らは皇帝の身近に仕えて身のまわりの世話とかをするので、自然に政治的な機密に触れるようになる。皇帝の立場から考えてみると、彼らは皇帝が幼い時一緒に遊んでくれたりした近しい存在でしょ。武帝のようなしっかりした皇帝でないと、ついつい彼らに政治的な細々としたことをまかせたりする。宦官は本来、政治に関わるべきではないから官僚からすれば腹立たしいですが、皇帝の信頼を得ている宦官に逆らえない、こんな雰囲気になると、まともな政治は行われにくくなります。
外戚というのは、皇帝の母方の親戚のことです。年少の皇帝が即位すると、政治的なことは母親やお祖母さんがするんですが、そうなるとその親族が高い位を独占していくのは当然の成り行きですね。この外戚も、皇帝の親族という特権をふりかざして、政治に関わってきます。
別々の背景から権力をもつ宦官と外戚は当然、仲が悪い。宮廷で両勢力の権力闘争を繰り返している間に、地方では豪族勢力が着々と勢力を蓄えていく。これが前漢後半からの中国史の大きな流れです。
王莽(おうもう)という人物がいました。この人は、前漢第十代皇帝元帝の皇后の甥にあたる。ややこしいね。ようするに外戚です。コネを利用して高い地位に就くわけですが、この人は儒学の学者として行いが立派だったので、評判が良かったのです。そこで王莽は、遂に自ら帝位に就いてしまいました。
この時、王莽は前漢最後の皇帝から、位を譲ってもらう形を取ります。この形式を禅譲という。平和的に帝位が移動したわけです。前漢の皇帝家は劉家です。王莽は、その親戚だけれど王家出身です。皇帝の家が代わるので、国号も変えた。王莽の王朝を新(8~23)という。
王莽は学者としては評判が良かったが、皇帝になると政治は一気に混乱しました。王莽は儒学の権化のような男で、儒学の理想を強引に現実社会にあてはめようとしたからです。理念を押しつけるだけの政治で、世の中が動くわけがない。
地方で豪族や農民の反乱がおこります。豪族反乱が緑林の乱、農民反乱は赤眉の乱という。これは反乱農民たちが、自分たちの目印として眉毛を赤く染めていたから付けられた名前です。こういう反乱の中で、王莽の政府は崩壊しました。
出典http://timeway.vivian.jp/index.html
出典http://timeway.vivian.jp/index.html
おひさ~! 忙中閑有りのプーです。
返信削除たぶんこれをベースにしたアニメがありましたよね。
リアルタイムで見たときは「王という座は思っているほどいいものじゃないな」
なんて感想をもったっけ^^;
何事もトライ&エラーでの進化・改良だとは思うのですが、
前例の失敗は踏襲しないようにしてほしいことと
失敗したときの説明と責任は果たしてほしいなぁ~と
今の政治家に言いたい^^;