カエサルを暗殺したブルートゥスとその仲間達は、当然ローマ政界の主導権を握ろうとしました。カエサルの独裁を面白く思ってなかった元老院の貴族達はそれでよいのですが、問題はカエサルの兵士達だったんです。
アントニウスという男がいます。彼はカエサルの右腕、有能な将軍でした。この男、兵士達に人望がかなりあった。彼が平民達の前でブルートゥスに対する弾劾演説というのをやって、平民達は反ブルートゥスになったといわれています。
現実問題として、金の問題があったと思われるんです。カエサルにはガリア遠征以来、多くの兵士がいた。さらにポンペイウスを破った後、彼の兵士のかなりの数をそのまま自分の軍隊に受け入れたらしい。正確ではないけど、万単位の兵士を持っていたと思います。前回にも話しましたが、この兵士はローマ兵でありながら、実際にはカエサルの私兵ですね。
要は、誰が彼らに給料を払うのか、ということです。兵士にとっては、こうです。
「ブルートゥスさん、カエサル将軍を殺したのはいいけど、あんた、わしらに給料を払ってくれるんだろうな。」
ブルートゥスは、カエサルみたいな富豪じゃないから払えない。給料を払ってくれない、そんな人物を兵士は支持しない、兵士はイコール平民です。彼らの支持を得ることが出来なくて、ブルートゥス一派はローマから逃亡しました。
誰が兵士の給料を払って彼らの支持を得たかというと、オクタヴィアヌスでした。正式な子供がいなかったカエサルは、いまわの際に養子を指名して財産を相続させたんですが、それがオクタヴィアヌスです。カエサルの姪の息子というから、ほとんど他人みたいなもんですな。でも一族の中では優秀で、カエサルは可愛がっていたようです。
オクタヴィアヌスはこの時19歳ですから、政治的にも軍事的にも実績なんかないんですが、カエサルの財産がある。これで給料を払う。兵士はただそれだけで、彼を支持することになったわけだ。こんなふうにして、あっという間にオクタヴィアヌスはローマ政界の実力者になったのです。
前43年からは、オクタヴィアヌスとアントニウス、レピドゥスの三人が第二回三頭政治を始めました。レピドゥスも、アントニウスと同じくカエサルの武将だった男。ただ政治的な力量で後の二人より大分劣り、後に失脚しました。オクタヴィアヌスとアントニウスの関係が焦点になってきます。東方に逃げていたブルートゥス達を倒した後、ローマ領の東をアントニウス、西をオクタヴィアヌスという分担が出来ます。
東方におもむいたアントニウスが出会ったのが、クレオパトラ。アントニウスは40歳、クレオパトラは28歳。クレオパトラは贅の限りを尽くしてアントニウスを歓待し、彼の心を虜にした。カエサルに代わる、ローマの実力者をパトロンにしたわけ。
クレオパトラにとって、この行動は政治的打算から始まったのでしょうが、実際にこの二人はかなり強い精神的な結びつきもできたみたいですね。正式に二人は結婚し、クレオパトラは彼の子を三人産んでいる。アントニウスは、ローマ領をクレオパトラに譲ったりしています。アントニウスは独断でこんな事をするので、ローマ政界での評判はどんどん悪くなる。
オクタヴィアヌスは政略結婚で自分の姉をアントニウスの妻にさせるんですけどね、アントニウスはクレオパトラと出会った後。形だけの結婚で、姉さんには見向きもしない。
当然の成り行きとして、オクタヴィアヌスとアントニウスは決裂。前31年、アクティウムの海戦でアントニウス・クレオパトラ連合軍はオクタヴィアヌスに敗れて、二人は自殺した。伝説では、クレオパトラは毒蛇に乳房を咬ませて自殺したとか。これでエジプトはローマの属州となり、オクタヴィアヌスはローマ随一の実力者として政権を掌握した。
前27年、オクタヴィアヌスは事実上の帝政を開始しました。「事実上」というのは名目上は帝政ではない、ということだね。オクタヴィアヌスは「事実上の皇帝」になったわけ。
しかし、考えてみて下さい。このわずか20年前、彼の養父カエサルは王になろうして殺された。なぜオクタヴィアヌスは、すんなり皇帝になれたのか。カエサル死後の混乱から、元老院貴族達も学んだんだと思うよ。巨大な領土を持つ、このローマを平和に維持するためには、今までみたいな元老院を中心とする合議制では限界にきていることを。カエサルが試みた道しかないということをね。
一方、オクタヴィアヌスも、カエサルの二の舞にならないように馬鹿丁寧に元老院を尊重し、共和政を守るポーズをとり続ける。彼しか政権を担当できる者がいないのに、ということは彼しか兵士に給料を払えないということなんですが、何度も政権を元老院に返上する儀式を繰り返したりしてね。その度に元老院は、あなたにお願いします、あなたしかいません、ってオクタヴィアヌスに頼むわけだ。
元老院は、彼に「アウグストゥス」という称号を捧げた。これは「尊厳なる者」という意味。これに対してオクタヴィアヌスは謙遜して、いえいえ私はただの「プリンケプス」です、と言う。これは「第一の市民」という意味です。序列一位のローマ市民にすぎませんということ。
だから、事実上の帝政というわけ。オクタヴィアヌスが死んだ時の正式の肩書きです。
「最高司令官・カエサル・神の子・アウグストゥス・大神祇官長(ポンティフェクス・マクシムス)・統領13回・最高司令官の歓呼20回・護民官職権行使37年目・国父(パテル・パトリアエ)」
皇帝という言葉がない。そもそも、皇帝というものがそれまでなかったんだから、言葉自体が存在しないのですよ。この後「カエサル」という言葉が皇帝という意味で使われるようになりました。ドイツ語のカイザー、ロシア語のツァーリ、両方皇帝という意味ですが、語源はカエサルです。
初代皇帝として、オクタヴィアヌスは大過なくローマを治め70を越えて大往生。ただ、子供には恵まれなかった。女の子は産まれたんですが、男子はいなかった。系図を見て下さい。かなり複雑。
ローマ人は一夫一婦制なんですが、みんなたくさん妻や夫がいるでしょ。彼らは盛んに結婚離婚を繰り返すのね。性的には、かなり乱れているんですよ。結婚していても、夫婦関係以外の性的関係を男も女も当たり前のように持っている。セネカという哲学者がいますが、彼は言っている。
「妻の浮気相手が二人だったらその妻は貞淑だ、夫は幸せ者だ」とね。
その割にはというか、その為なのか分かりませんが、当時の貴族の家では子供が少ないです。名門貴族の家系で、跡継ぎがなくて途絶えるのが結構あるのです。
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