2021/08/14

日本の宗教文化(2)

出典httpwww.ozawa-katsuhiko.comindex.html


近代民主主義の正体

 他方「民主主義」を初めとした社会科学の受容は第二次世界大戦の後であり、これは敗戦に伴って伝統的な「天皇中心の封建体制」の打破を求められたところから起きたものです。ただ近代民主主義は、フランス革命の理念を骨幹としており「自由・平等・博愛」といった三本の柱を持ったものでした。ところが、この民主主義は「制度的には」古代ギリシャの民主主義を踏襲していますけれど、この背後にある精神は西洋が1000年にもわたって守り続けて西洋人の血肉となっていた「キリスト教」にあり、とりわけ「博愛」というのが入っているのが、古代ギリシャの民主主義と大きな違いとなっています。

 

 しかし日本は西洋の受容に当たっても、このキリスト教は全く理解できず、民主主義についてもそれを「表面的な制度」としては受容しましたけれど、訳の分からない「博愛」の精神は棚に上げて、その代わりに日本的な「」の精神を持って代替しようとしました。

 

 しかし、これは無茶な話で、そのため日本のいわゆる民主主義は西洋の概念からする民主主義とは全く異質のものとなってしまい、西洋型の民主主義は「個人」を基本とするのに対して、日本は結局は「家父長制度」「お上意識」「和(集団に同調する意識)」を濃厚に残してしまいました。

 

ちなみに「平等」というのは、すべての人間は「神の前に等しい」というキリスト教の精神でした。「自由」というのは、すべての人間は「神の前に平等」なのだから、その平等なる人間が、不当にその身体・財産・思想・信条・感情などを束縛されてはならない、という「神の前に等しい人間としての自由」をいうものでした。

 

博愛」というのは、当然「その神の前に兄弟・姉妹」であるすべての人類を、文字通り「兄弟・姉妹として愛する」というものです。

 

 しかし日本がこのキリスト教に基づく民主主義から、キリスト教的色彩をすべて取り払って受け入れたというのは、まさに日本的な「外来精神の受容の典型」であったといえます。つまり、日本文化の原点・模範となっている中国文化は「母親」みたいなものでしたから、その文化の受容も無理なく細部まで行われていたのですが、それでもやはり日本的に改変・展開させていくのです。この「原日本的な精神」を決して譲らないところが、実は「異質な文明」であった「仏教」の受容に当たってはっきり現れて「神仏習合」という形にしていたのであり、とりわけ異質な西洋文化の場面で、より明白な形で示されたのです。

 

日本的精神

 この「譲らない」日本的精神とは何なのか、これは原日本人以来の「集団・家族」を原点としてものを捕らえるという精神といえます。これは「和」を大事にし「集団に同調すること」「集団のために働き、犠牲となる」ことを「美徳」と呼んできた日本人のあり方です。ですから宗教にしても「家の宗教」という形になって「個人の信仰告白」など要求されませんし、それはさらに「村ごと、集落ごとの宗教」となってきます。

 

 実際、日本人ほど「村八分」を怖がる民族は少ないようで、最大の「いじめ」が「しかと・無視」という形になったり、何より「他人の目」をおそれ、「みんなと一緒」ということに安心します。「出る杭は打たれる」からです。

 

 他方、「民主主義」は「個人」を原点とします。「神の前に自分が悔い改める」ことが要求されるのです。こうしたギャップの無理解が、最近の日本で大きな問題となってきていると言えます。以上を整理してまとめてみると、以下のように整理できます。

 

古神道

 「神道」といってもいろいろなのですが、ここでは「日本人の習俗・習慣」の宗教的表現を「古神道」と名付けておきます。日本人のものの考え方、習慣、文化の原点ですが、「神道」などと宗教的には意識されていません。

 

 古来「祭りや祭儀」として生活の中にあり「生活習慣」となっているもので、年神を迎えて「正月」を寿ぎ、祖先の霊を供養し、豊作を祈って祭り、一年や生涯の節目節目に祝い、太陽や雨に感謝し、山や海に畏敬の念を持ち、木々や土地を大事にする「自然崇拝の心」の現れです。これは今日でも地方的祭り、神社の祭礼などに形として残ってきます。しかし「西洋文化」の受容と同時に「自然崇拝」の心は非常に薄くなってしまいました。

 

物の考え方としては、具体的な生活を重視し「繁栄」を第一とします。これにプラスになるものが「善・正・美」でありこれにマイナスとなるものが「悪・不正・醜」とされます。ここから「自然崇拝」と「家族制の尊重」が生じ、良い面としては「労働を尊重し」「自然を大事にし」「家族・集団の秩序・和を尊び」「自然や人に感謝する」ということがありました。古代の日本的倫理観の根源は、ここに多くがあります。

 

 しかし戦後、ここにマイナスの要因が見られるようになりましたが、それはこの体制が家父長制という「封建制」と結びついていて「個人の自由・平等」がなかった点、家族・身内意識の裏に「内・外」という「排他的感覚」があったこと、「個人が集団の犠牲にされる」「能力より年長という非能率」などなどが指摘されました。

 

 この反省のもとに、戦後に西欧の民主主義を導入したのですが、確かに「封建制」は少なくなりましたが、その代わりに古来の良い面も同時に失われていきました。

 

仏教

 日本の受容した仏教のものの考えかたとして、もっとも重要だったのは「来世の幸福」を教えたという点でしょう。「古神道」は現世の繁栄幸福を司るものでしたから「来世の幸福」という観念は、ほとんどありませんでした。ここで「仏教によって死後、仏の極楽世界に行ける」という庶民の願望が満足されるようになったのです。日本では生前の祈りはほとんど神社に行くのに、葬式だけは仏教でやるのはこのためです。

 

ここからまた「極楽に行くために悪いことはしてはいけない」「罰があたる」といった倫理観も生じた。また仏教は「苦しみの世界からの脱出」ということを主張していたことから「苦しみ、病気などからの救済」ということも期待されました。

 

儒教

 中国思想のもっとも代表的なもので、それによって古代日本の支配者は「社会組織」を形成し、さらにそれに関わる社会的倫理観を思想的に体系付けました。基本の構造は「(これは、とりあえず難しいことは抜きにして、西洋的には「」としておいていいでしょう)」の思想で、宇宙万物は天に由来し天に従って動いているとする思想です。

 

 ここから

 

「人間は天に従わなければならない」

「天はその子(天子)を地上に遣わしているので、人民はそれにしたがわなければならない」

「親は子供にとって天と同様であり、したがって子どもは親に服従すべし」

「夫(男性)は妻(女性)にとって天と同様であり、したがって妻(女)は夫(男)に服従しなければならない」

「年長者は年少者にとっては天と同様であり、したがって年少者は年長者に従わなければならない」

「友人同士は対等であり、互いに相手に対して尽くさなければならない」

 

という教えとなります。これを一般に「人倫五常」などと呼んでいますが、完全に封建的な思想で「支配者」にとってこれほど都合のいい思想はまたとないので、今日でも保守的な人々によって明に暗に復活が望まれています。

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