2021/08/12

ヘブライの民族(ヘブライ神話18)

出典httpwww.ozawa-katsuhiko.comindex.html

 

 オリエントの東部は、紀元前3000以前から2000年くらいまで栄えたメソポタミア文明を形成したシュメール人からはじまり、その文明は2000年代にこの地を支配したセム族のアッカド、さらにそれが北部のアッシリア、南部のバビロニアと引き継がれていたわけですが、一方西部の方も同じセム族の民族が活動していました。

 

 セム族がオリエント地方に姿を現し始めたのは紀元前3000年頃からとされますが、それは東部のアッカドだけの話ではなく、西部も同様であったと考えられています。そして紀元前2000年代に入ってウガリト王国が北部のシリア地方にあって栄え、さらにフェニキア人が台頭し、またさらに紀元前1000年代の終わりに南部のパレスチナ地方にヘブライ(イスラエル・ユダヤ)人の王国が形成されるのでした。

 

そして、この民族の結束を図るために、セム族に共通の神バールに代えて、自分たち独自の神ヤハウェを主張していったと考えられます。ですからその限り、相当に政治的な意味合いの強い神であったと言えます。

 

 ところで、その「ヘブライ」という言葉ですが、私達は通常「ヘブライ人」「ヘブライ語」「ヘブライ神話」などという言葉を使う一方で、同じ民族のことを「イスラエル人」とか「ユダヤ人」とか呼び、その宗教は「ユダヤ教」と呼んでいます。この言葉の使い分けは複雑ですが、とりあえずは「同じ民族」を指しています。

 

イスラエルというのが一般的な名称のようで、ヘブライというのは「貧しい流浪の民」という軽蔑的な言葉だったようですがやがて定着してしまい、特に古い時代を意味させるときはヘブライという言い方をしています。

 

やがて後代、ユダ王国を形成してペルシャ支配時代にユダヤ教を成立させてからは、ユダヤという言い方をするということで理解しておいてください。

 

ユダヤ教の形成までの民族史

 さて、このヘブライの民族が作り上げた宗教ですが、その民間信仰の時代からユダヤ教が成立するには、次のようないきさつがあります。

 

 すなわち、ダビデ王の下にヘブライ人が作り上げた国家が、その子ソロモンの死と共に早々と分裂して北のイスラエルと南のユダに分裂し、やがて北のイスラエルがアッシリアによって滅ぼされ、南のユダもバビロニアに占拠されて結局イスラエル民族の国家はここに消滅します。

 

そしてユダの市民は、バビロニアにつれて行かれてしまいます。これを通常バビロン補囚と呼んでいますが、それは台頭してきたペルシャがバビロニアを滅ぼしたところで終わり、寛大であったペルシャは、ユダの市民を支配はしましたが、バビロニアから解放してやり故郷に帰ることを許してあげたのでした。

 

 そしてユダの市民は故郷に帰って、自分たちの不運を嘆きながら、これは神への信仰が薄かったからだと反省して、これまでの民間宗教的であった宗教を確実な宗教体系に作り上げていったのです。それを私たちは、ユダヤ教と呼んでいるのでした。

 

こうして、紀元前六世紀後半から五世紀にかけて、ユダヤ教は意識的に形成されていったわけで、その性格は「ユダヤ人(イスラエル人)のユダヤ人によるユダヤ人のための宗教」という特質を持ちました。もちろん、それはそれ以前の「ヘブライ神話」を整理したものです。その神話は、後に『旧約聖書』とされてキリスト教に入り込み、そこでも重視されるところから「モーゼの出エジプトの物語」「十戒」など映画などにもなって良く知られた物語となりました。

 

ユダヤ教というのは、結局のところこうしてユダヤ(イスラエル)民族史と関連して形成されたものですので、ここで先ずイスラエルの「民族史」から見ていきましょう。それは「創世記」と「出エジプト記」に記された物語となりますが、その大雑把な筋は次ぎのようになります。

 

 先ずメソポタミア地方のウルに居たアブラハムという人物に神の声があって、彼は都市ウルを出てハランを経由してカナンにたどり着きます。ウルというのは、ユーフラテス河の下流です。そしてカナンというのが、現在のパレスチナ地方で後にユダヤ(イスラエル)人の国家が創設されるところでした。

 

つまりアブラハムは、東のメソポタミア地方からはるか西へと移動していったわけです。神は、この地方をアブラハムの子孫に与えると約束したといいます。この約束がユダヤ教の核となるのであって、ユダヤ教とは、この神の約束の実現を目的としたものなのでした。ですから宗教としては非常に現実的・現世的なものですが、これは豊穣を願う原初の宗教の基本的姿とも言えます。

 

 さてアブラハムの妻は、神の予言があって男の子イサクを生みます。ところが神は、このイサクを神への犠牲として差し出せなどと命令してきました。これは祭壇のところで喉を切り裂き命を捧げるということですからアブラハムは悩みますが、神の言いつけということで祭壇を築いてイサクを犠牲として殺そうとします。そこに神の使いが現れて、アブラハムの信仰の厚さを讃えます。つまり試したというわけでした。同時に合格したアブラハムは、神に祝福されたということになります。

 

 こうしてイサクは助かり、やがて結婚してエサウとヤコブの双子を得ました。エサウの方が長子で継承権を持っていたのですが、母はヤコブを愛していてヤコブに悪知恵を授け、ヤコブはそれに乗って老齢のため良く目が見えなくなっていた父イサクを騙してエサウと偽って、その継承権を奪ってしまいました。このヤコブが、一名イスラエルといい、イスラエル民族の名前となります。

 

 イスラエルという名のヤコブは、妻を四人持って十二人の子どもを得ます(後代のイスラームが妻を四人までとしたのは、宗教的にはこれが根拠と思われる。イスラームのアラブ人も、自分たちの始祖をアブラハムとしているからである。)。

 

この12人の子ども達が、いわゆるイスラエル12部族の祖とされるわけです。ところがヤコブは末子であるヨセフだけを贔屓し、そのため他の子どもたちはヨセフを妬みます。その上ヨセフは、自分が皆の上に立つ夢を見たなどといったので、さらに憎まれてしまいます。そこで兄弟たちはヨセフを殺してしまおうとしましたが一部の兄弟は反対し、穴に落としておこうとしましたが、そこにエジプトの隊商が通りかかってのでヨセフを彼等に売り払ってしまいました。

 

 ヨセフはエジプトにあって召使いとして仕えていましたが、ある事情から王様の夢を解いてやり、登用されて大臣にまでなっていきました。そうした時、飢饉になってヨセフ達の兄弟がエジプトにやってきて再会し、ここでヤコブ(イスラエル)達はエジプトに住むことになったというわけでした。

 

 彼等の処遇も始めの頃は良かったのですが、やがて時代が経ってヤコブの子孫達は疎まれるようになって奴隷化され、ここでモーゼが出現してエジプトを脱出していくという物語になっていくわけです。

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