時期区分
考古学者の中には、3世紀半ば過ぎに前方後円墳が出現したと考えられている説がある。3世紀後半から、4世紀初め頃が古墳時代前期、4世紀末から古墳時代中期、6世紀初めから7世紀の半ば頃までを古墳時代後期としている。しかし、文献史学者や一部の考古学者の中には、3世紀末以前の古墳時代開始に疑問を持ち、実際には4世紀初頭から前期に始まるとも見られている。
実際の古墳の築造は、畿内・西日本では7世紀前半頃、関東では8世紀の初め頃、東北地方では8世紀の末頃でほぼ終わる。時代名称はこの時期、古墳の築造が盛んに行われたことに由来する。
古墳時代出現期
3世紀半ば過ぎには、出現期古墳が現れる。前方部が撥形に開いているもので、濠が認められていないものがある。中には、自然の山を利用しているものもあり、最古級の古墳に多いと言われている。埴輪が確認されていないのが特徴である。葺石なども造り方が定まっていないようにも思われる。また、魏志倭人伝を根拠に、248年頃に死亡したとされる卑弥呼の墓が円墳だったとする説があるが、墓そのものが特定されていない。
この時期の主な古墳
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福岡県京都郡苅田町、石塚山古墳(邪馬台国九州説の一説では、女王卑弥呼の墓と目され、最古級の前方後円墳。造営当初は130メートル以上か。築造時に、墳丘に複合口縁壺が樹立されていたと推定されている)
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大分県宇佐市、川部・高森古墳群の赤塚古墳(57.5メートル、周囲には幅8.5 - 11メートルの空濠が巡る)
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奈良県桜井市太田字石塚、纒向石塚古墳(96メートル、後円部は不整形円形で、前方部は三味線の撥状に開いている。葺石および埴輪は用いられていない)
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京都府木津川市山城町、椿井大塚山古墳(推定175メートル、自然の山を利用している)
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奈良県天理市柳本町、黒塚古墳(130メートル、撥形であることが分かる。また周濠を持っている)
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静岡県沼津市東熊堂、高尾山古墳(62メートル、前方部と後方部の長さがほぼ同じで、周濠を持つ。葺石および埴輪は用いられていない)
箸墓古墳
3世紀の後半には、西日本各地に特殊な壺形土器、器台形土器を伴った墳丘墓(首長墓)が現れる。その後、前方後円墳のさきがけと位置付けられる円墳、出雲文化圏特有の四隅突出型墳から変化した大型方墳が代表的であり、最古のものは島根県安来市の大成古墳と位置付けられ、前期には珍しい素環頭大刀が出土している。
それから少し経ち、奈良盆地に大王陵クラスの大型前方後円墳の建設が集中した。埋葬施設は竪穴式石室で、副葬品は呪術的な鏡・玉・剣・石製品のほか鉄製農耕具が見られる。この頃、円筒埴輪が盛行。土師器が畿内で作られ、各地に普及すると、その後、器財埴輪・家形埴輪が現れた。また、福岡県の沖ノ島ではヤマト王権による国家祭祀が始まった時期とされる。
この時期の主な王墓
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奈良県桜井市、箸墓古墳(邪馬台国の女王卑弥呼の墓と目され、最初の王墓。280メートルの前方後円墳、造営は3世紀後半説)
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奈良県天理市、大和古墳群の西殿塚古墳(219メートル)
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奈良県天理市、柳本古墳群の行燈山古墳(242メートル、伝崇神陵)
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奈良県天理市、柳本古墳群の渋谷向山古墳(伝景行陵、310メートル)
この時期の王に準じる規模と内容の主な墳墓
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奈良県桜井市、桜井茶臼山古墳(280メートル)
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奈良県桜井市、メスリ山古墳(240メートル)
主な首長墓
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山梨県甲府市、甲斐銚子塚古墳(168メートル)
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岡山市、神宮寺山古墳(約150メートル)
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東広島市
三ツ城古墳
古墳時代中期
大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)
5世紀の初頭、王墓クラスの大型前方後円墳が奈良盆地から河内平野に移り、さらに巨大化した人物埴輪が現れた。5世紀半ばになり、畿内の大型古墳の竪穴式石室が狭長なものから幅広なものになり、長持ち型石棺を納めるようになった。各地に巨大古墳が出現するようになり、副葬品に、馬具・甲冑・刀などの軍事的なものが多くなった。
5世紀後半には、北部九州と畿内の古墳に横穴式石室が採用されるものが増えてきた。北部九州の大型古墳には、石人・石馬が建てられるものもあった。またこの頃大阪南部で、須恵器の生産が始まり、曲刃鎌やU字形鋤先・鍬先が現れた。
5世紀の終わりには、畿内の一部に先進的な群集墳が現れ、大型古墳に家型石棺が取り入れられるようになった。南東九州地方や北部九州に地下式横穴墓が造られ始め、また、装飾古墳が出現し出した。
畿内の盟主墓
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大阪府堺市
大仙古墳(伝仁徳天皇陵、525メートル)
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大阪府羽曳野市
誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵、420メートル)
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大阪府堺市
上石津ミサンザイ古墳(伝履中天皇陵、365メートル)
一部の地域首長古墳が巨大化
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岡山市
造山古墳(360メートル)
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岡山県総社市
作山古墳(270メートル)
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群馬県太田市
太田天神山古墳(210メートル、濠を入れると約320メートル)
古墳時代後期
6世紀の前半には、西日本の古墳に横穴式石室が盛んに造られるようになった。関東地方にも横穴石室を持つ古墳が現れ、北部九州では石人・石馬が急速に衰退した。
古墳時代後期の大王陵
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今城塚古墳(大阪府高槻市、真の継体陵、墳丘長190メートル)
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河内大塚山古墳(大阪市松原市、墳丘長335メートル)
前方後円墳最終段階の大王陵
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見瀬丸山古墳(欽明陵と推定される、全長318メートル、奈良県橿原市)
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太子西山古墳(伝敏達天皇陵、全長100メートル未満、大王陵最後の前方後円墳)
6世紀後半になり、北部九州で装飾古墳が盛行。埴輪が畿内で衰退したことで、関東で盛行するようになった。西日本で群集墳が盛んに造られた。
古墳時代終末期
石舞台古墳
全国的に6世紀の末までに前方後円墳が造られなくなり、方墳や円墳、八角墳がもっぱら築造されるようになる。この時期の古墳を終末期古墳という。646年の薄葬令で古墳時代が事実上終わりを告げた後も、東北地方や北海道では墳丘墓の築造が続き末期古墳と呼ばれるが、末期古墳が古墳であるかどうかについては議論が分かれる。
終末期の古墳の代表的なもの
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大堤権現塚古墳(千葉県山武市大堤古墳群、終末期最大の前方後円墳、三重の周溝を含み全長174メートル)
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浅間山古墳(千葉県印旛郡栄町龍角寺古墳群、最後の前方後円墳、全長93メートル)
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龍角寺岩屋古墳(千葉県印旛郡栄町龍角寺古墳群、終末期最大の方墳、78×78メートル)
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春日向山古墳(大阪府南河内郡太子町磯長谷古墳群、現用明天皇陵、63×60メートルの方墳)
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駄ノ塚古墳(千葉県山武市板附古墳群、62×62メートルの方墳)
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山田高塚古墳(大阪府南河内郡太子町磯長谷古墳群、現推古天皇陵、63×56メートルの方墳)
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総社愛宕山古墳(群馬県前橋市総社町、総社古墳群、一辺55メートルの方墳)
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宝塔山古墳(群馬県前橋市総社町、総社古墳群、54×49メートルの方墳)
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石舞台古墳(奈良県高市郡明日香村島庄、蘇我馬子の墓と推測、一辺約50メートルの方墳、全長19.1メートルの横穴式石室)
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八幡山古墳(埼玉県行田市藤原町、若小玉古墳群、径66メートルの円墳)
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山室姫塚古墳(千葉県山武市松尾町山室、大塚古墳群、径66メートルの円墳)
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壬生車塚古墳(栃木県下都賀郡壬生町壬生、車塚古墳群、径62メートルの円墳)
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牧野古墳(奈良県北葛城郡広陵町、押坂彦人大兄皇子の墓である可能性が高い、径43メートルの円墳)
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ムネサカ1号墳(奈良県桜井市、中臣氏一族、径45メートルの円墳)
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峯塚古墳(奈良県天理市、物部氏一族、径35メートルの円墳)
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高松塚古墳
・ キトラ古墳
出典 Wikipedia
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