2024/03/19

安史の乱(1)

安史の乱、ないし安禄山の乱は、755年から763年にかけて、唐の節度使の安禄山とその部下の史思明、およびその息子たちによって引き起こされた大規模な反乱。 安禄山・史思明両者の姓をとって「安史の乱」と呼称される。

 

背景

安禄山は西域のサマルカンド出身で、ソグド人と突厥の混血でもあった。貿易関係の業務で唐王朝に仕えて頭角を現し、宰相の李林甫に近付き、玄宗から信任され、さらに玄宗の寵妃の楊貴妃に取り入ることで、范陽をはじめとする北方の辺境地域(現在の河北省と北京市周辺)の三つの節度使を兼任するにいたった。

 

史思明は安禄山とは同郷で、同様に貿易関係の仕事で頭角を現し、安禄山の補佐役として彼に仕えるようになったといわれる。

 

挙兵

李林甫の死後、宰相となった楊国忠(楊貴妃の又従兄)との対立が深刻化し、ついにその身に危険が迫ると、安禄山は75511月に挙兵した。

 

安禄山軍の構成

盟友である史思明、参謀の次男の安慶緒、漢人官僚の厳荘や高尚、突厥王族出身の蕃将の阿史那承慶、契丹人の孫孝哲らが参画した。

 

当時、安禄山は唐の国軍の内のかなりの割合の兵力を玄宗から委ねられていた。親衛隊8000騎、蕃漢10万〜15万の軍団で構成された。

 

洛陽陥落と燕国建国の宣言

唐政府軍は平和に慣れきっていたことから全く役に立たず、安禄山軍は挙兵からわずか1カ月で、唐の副都というべき洛陽を陥落させた。

 

756年正月、安禄山は大燕聖武皇帝(聖武皇帝)を名乗り、燕国の建国を宣言する。

 

唐軍の状況

唐軍は洛陽から潼関まで退いたが、司令官封常清は敗戦の罪で、高仙芝は退却と着服(これは冤罪であった)の罪で処刑された。新たに哥舒翰が兵馬元帥に任じられ、潼関に赴任した。哥舒翰は病気をもって固辞しようとしたが玄宗に拒絶されたと伝えられる。

 

哥舒翰は、御史中丞の田良丘に指揮をゆだねたが統率がとれず、また騎兵を率いる王思礼と歩兵を率いる李承光が対立しており、軍の統制は低かった。

 

雍丘の戦い

しかし、756年春に行われた雍丘の戦いにおいて、安禄山側の反乱軍は唐の正規軍に敗れ、計画が一時破綻してしまう。安禄山の配下の武将の令狐潮率いる反乱軍は、唐の軍人の張巡率いる正規軍に比べ圧倒的な兵力を擁していたにもかかわらず、雍丘・睢陽を獲得することができず、唐が勢力を回復するまでに燕国が中国南部を征服することができなくなってしまった。結局、燕国は757年に睢陽の戦いにて、唐軍を打ち破るまで睢陽地区を制圧することは出来なかった。

 

燕の長安制圧と唐の敗走

唐は7566月、蕃将の哥舒翰に命じ潼関から東に出撃させたが、哥舒翰は安禄山軍に敗北する。

 

パニックに陥った唐朝廷は、楊国忠の進言により、756613日、宮廷を脱出する。玄宗は蜀へと敗走する。その途上の馬嵬(現在の陝西省咸陽市興平市)で護衛の兵が反乱を起こし、楊国忠は安禄山の挙兵を招いた責任者として断罪されたあげく、息子の楊暄・楊昢・楊暁・楊晞兄弟と共に兵士に殺害された。その上に兵らは、皇帝を惑わせた楊貴妃もまた楊国忠と同罪であるとしてその殺害を要求し、やむなく玄宗の意を受けた高力士によって楊貴妃は絞殺された。これは馬嵬駅の悲劇といわれる。失意の中、玄宗は退位した。皇太子の李亨が霊武で粛宗として即位し、反乱鎮圧の指揮を執ることとなる。

 

唐よりウイグル帝国への援軍要請

7569月、粛宗はウイグル帝国に援軍を求めるため、モンゴリアに使者として敦煌王李承寀と、テュルク系の九姓鉄勒僕固部出身の僕固懐恩、ソグド系蕃将の石定蕃らを派遣する。10月に、オルド・バリクの会見でウイグル帝国第二代ハーンの葛勒可汗は要請に応じる。

 

75611月から12月にかけて、安禄山軍の蕃将の阿史那承慶は自身が突厥王族出身でもあったことから、突厥・トンラ(同羅)・僕骨軍の5000騎を率いて長安から北へ進軍し、粛宗のいた霊武を襲撃する。

 

葛勒可汗率いるウイグル軍と唐の郭子儀軍は合流し、阿史那承慶軍を撃破する。

 

756年、アッバース朝のカリフであるマンスールは、唐を支援するために4000人のアラブ兵を派遣した。彼らは戦後、中国に駐留した。

 

安禄山の暗殺

一方、長安を奪った安禄山であるが、間もなく病に倒れ失明し、次第に凶暴化。さらに、皇太子として立てた息子の安慶緒の廃嫡を公然と口にするようになると、安慶緒及び側近らの反発を買い、安禄山は757年正月に安慶緒によって暗殺された。父を殺した安慶緒がその跡を継いで皇帝となるが、安禄山の盟友であった史思明はこれに反発し、范陽に帰って自立してしまう。

 

なお、同年春には燕軍に捕らわれ、長安に軟禁されていた杜甫が『春望』を詠んでいる。

 

國破れて 山河在り

城春にして 草木深し

時に感じて 花にも涙を濺ぎ

別れを恨んで 鳥にも心を驚かす

峰火 三月に連なり

家書 萬金に抵る

白頭掻いて 更に短かし

渾べて簪に 勝えざらんと欲す

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