調布市に、東京都では「浅草寺」に次ぐ1300年の歴史を誇る「深大寺」があり、一帯の地名にもなっています。
深大寺の名は、深沙(じんじゃ)大王という水神に由来しています。この深沙大王とは本来、疫病を除き悪事を遠ざける力を持った神と伝えられ、その昔『西遊記』で名高い中国の三蔵法師が教典を求めてインドに旅して流砂河という大河を渡る時にも、この深沙大王に救われたと言われています>
『深大寺縁起絵巻』によれば
<深大寺の開山、満功上人(まんくうしょうにん)の父・福満(ふくまん)が郷長右近(さとおさうこん)の娘と恋に落ちましたが、右近夫妻によって湖の島へ娘を遠ざけられてしまいました。そこで福満が深沙大王に祈願したところ霊亀が現れ、彼を島へ連れて行きました。この奇瑞を知って右近夫妻も二人の仲を許し、そして生まれたのが満功上人です。上人は父の念願によって出家し法相宗(ほうそうしゅう)を学び、733年に寺を建てて750年に深沙大王の像を安置しました。その寺が深大寺だというのが、開創伝説です>
とあります。
ところで、この深大寺の直ぐそばに「神代植物公園」という東京都を代表する大きな施設があり、字面はまったく異なるものの何故かこちらも「じんだい(植物公園)」と「じんだい(寺)」と読みがまったく同じなのです。その辺りが気になりWebページで検索をしていると、興味深い記事が見つかりました。
<前から気になっていた事ですが、神代植物公園と深大寺は隣あっていて「じんだい」と読み方も同じなのに、なぜ字が違うの? という疑問です。
今回初めて現地を訪れ、その疑問が解消しました。
以下、神代植物公園にあった「神代植物公園の名称の由来」という看板の、ほぼ引用です。
『深大寺周辺は、江戸時代から「深大寺村」と呼ばれていました。明治22年に深大寺村と近隣の村が合併して「神代村」が誕生。昭和15年に、東京府がこの地に防空緑地を造るため71万㎡の土地を買収しましたが、この緑地は当時の地名から「神代緑地」と命名されました。
戦後の農地解放で、約3/4の土地は農家へ返されました。昭和36年に残った土地と再度買収した土地を合わせ、約25万㎡で防空緑地だった時の名称を引き継ぎ「神代植物公園」として開園しました。昭和30年、調布町と神代町が合併し調布市が誕生し「神代」の町名は消えました。
その後も、住居表示の変更で深大寺を名乗る多くの地番が誕生したため、神代植物公園の「神代」の由来はますますわかりにくくなった、という訳です>
●ポリネシア語による解釈
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
市の北部、武蔵野台地の谷に「そば」で有名な浮岳山深大寺があり、周囲には多くの湧泉があります。深大寺の名は、寺内の池のほとりに祀る水神・深沙(じんじゃ)大王にちなむとされます(『武蔵野歴史地理』)
この「じんだいじ」は「チノ・タイ・チ」、TINO-TAI-TI(tino=main,essentiality,quite;tai=tide;ti=throw,cast)、「潮流のような湧き水が噴出する主たる(場所)」の転訛と解します。
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