1829年3月にメンデルスゾーンは、バッハのマタイ受難曲を蘇演し、5月に初めてイギリスに渡った。スコットランドを旅したメンデルスゾーンは7月30日、エディンバラのメアリ・ステュアートゆかりのホリールードハウス宮殿を訪れ、宮殿のそばにある修道院跡において16小節分の楽想を書き留めた。これが「スコットランド」交響曲の序奏部分であり、この曲の最初の着想となった。しかし、翌1830年にはイタリア旅行して、第4交響曲「イタリア」の作曲にかかり、1835年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者となるなど、多忙のために「スコットランド」の作曲は10年以上中断された。
全曲が完成したのは1842年1月20日、ベルリンにおいてであり、メンデルスゾーンは33歳になっていた。メンデルスゾーンはモーツァルト同様の速筆で知られるが、この曲に関してはその例外ということになる。
出典Wikipedia
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