2005/11/22

ラロ スペイン交響曲(第2&3楽章)

 


※出典http://www.yung.jp/index.php

 

《ラロといえば『スペイン交響曲』

それ以外の作品は? と聞かれると、思わず言葉に詰まってしまいます。いわゆる、クラシック音楽界の「一発屋」と言うことなのでしょうが、それでも一世紀を超えて聴き継がれる作品を「一つ」は書けたというのは偉大なことです。

 

なにしろ、昨今の音楽コンクールにおける作曲部門の「優秀作品」ときたら、演奏されるのはそのコンクールの時だけというていたらくです。そして、その殆ど(これはかなり控えめな表現で、正確には「すべて」に限りなく近い「殆ど」)が誰にも知られず消え去っていく作品ばかりなのです。クリエーターとして、このような現実は虚しいとは思わないのだろうかと不思議に思うのですが、相変わらず人の心の琴線に触れるような作品を作ることは「悪」だと確信しているような作品ばかりが生み出されます。いや、そのような作品でないとコンクールで良い成績を取れないがため、そのような類の作品ばかりを生み出していると表現した方が正確なのでしょう。

 

しかし、音楽はコンクールのために存在するものではありません。当たり前のことですが、音楽は聴衆のために存在するものです。この当たり前のことに立ち戻れば、己の立ち位置の不自然さにはすぐに気づくはずだと思うのですが、現実は一向に変わりません。相変わらず「現代音楽」という業界内の小さなパイを奪い合うことにのみ腐心しているといえば、あまりにも言葉がきつすぎるでしょうか。

 

ですから、こういうラロの作品を異国情緒に寄りかかった「効果狙いだけの音楽」だと言ってバカにしてはいけません。クラシック音楽というのは人生修養のために存在するのでもなければ、一部のスノッブな人間の知的好奇心を満たすために存在するのでもなく、まずは「聞いて楽しいという最低限のライン」をクリアしていなければ、話にはなりません。

 

ただ、その「楽しさ」には、色々な種類があるということです。あるものは、このスペイン交響曲のように華やかな演奏効果で人の耳を楽しませるでしょうし、あるものは壮大な音による構築物を築き上げることで、喜びを提供するでしょう。はたまた、それが現実への皮肉であったり、抵抗であったりすることへの共感から、喜びが生み出されるのかもしれません。そして時には均整のとれた透明感に心奪われたり、持続する緊張感に息苦しいまでの美しさを見い出すのかもしれません。

 

ポップミュージックに対するクラシック音楽の最大の長所は、そのような「ヨロコビの多様性」にこそあると思います。そして華やかな演奏効果で人の耳を楽しませるという、ポップミュージックが最も得意とする土俵においても、このスペイン交響曲のように彼らとがっぷり四つに組んで、十分に勝負ができる作品をたくさん持っているのです。  そういう意味において、このような作品はもっともっと丁重に扱わなければなりません》

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