曲は、ベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』と同じ変ホ長調が主調になっており、これはリヒャルト・シュトラウス本人も『英雄』を意識した事を仄めかしている。
自らを「英雄」と呼ぶ辺り「厚顔無恥」と言われそうだが、この作品のスケール感と多彩な響きの充実感を聞くと納得してしまう。
もう一つ驚くべきことは、作曲者が35歳の時に、この曲を作っている点だ。35歳にして、自分の業績を振り返るというのは何とも不思議であるが(実際、シュトラウスはこの後半世紀も長生きした)、その辺がシュトラウスらしいと言えるかもしれない。
シュトラウスはこの作品の後、交響詩を作っていないため、交響詩の総決算的な作品いうことは言える。シュトラウスの交響詩創作の営みは『ドン・ファン』に始まり(創作そのものは「マクベス」の方が早かったそうだが)、この『英雄の生涯』で一応の幕を閉じる。
「大オーケストラのための交響詩」と書き込まれたこの作品は、大きく分けて6つの部分に分かれると言われる。これはシュトラウスの交響詩の特徴をなす「標題の設定」と「主題の一致」という手法が、ギリギリのところまで来ていることを示している。つまり、取り扱うべき標題が複雑化することによって、スッキリとした単一楽章の構成では収まりきれなくなっていることを表している。
1.Der Held (英雄)
前奏はなく、いきなり低弦とホルンの強奏で雄渾な英雄のテーマが提示される。これは英雄の情熱・行動力を表す重要なテーマである。英雄のテーマは力を増していき、その頂点で突如休止する。
英雄を象徴するホルン+低弦による力強い主題で始まる。この主題はかなり長く、全曲の中心主題となっている。色々な要素を含んでいるが、一番最初に出てくる低音から高音へと駆け上って行く、文字通りヒロイックで誇らしげな部分が特に印象的で、シュトラウスらしいスケールの大きさが素晴らしい。
この部分を始めとして、この曲には8本のホルンが出て来るが、最初から最後まで主役のように活躍する。その他「英雄の感情の暖かさ」、「タッタカター」というリズムを持つ「英雄の行動力」など様々な動機を対位法的に組み合わせながら、立体的に進んで行く。
その頂点に達したところで強烈な和音となり、その後フェルマータのついた休符で区切られ第1部が終了する。まことに夢のように力強く美しい4分間である。
2.Des Helden Windersacher (英雄の敵)
続いて、木管楽器が中心となった戯画的なスケルツォ風の部分に移る。「敵」というのは、英雄と人間的に対立するもので、批評家、同輩などのことを指す。批判することしか知らない敵たちは、フルートで表される。
チューバによって無理解と敵視の動機も出て来て、英雄はだんだん悲観的な気分になる。この辺は英雄の主題が短調となって、低音楽器で出てくることで暗示される。
続いて「英雄の行動力」の動機が出て来て、非難や嘲笑を退ける。
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