2007/05/05

ペルゴレージ『奥様女中 (La Serva Padrona)』(2)

 



マルケ州の町イェージに生まれ、幼い頃から音楽の才能を現し、ナポリの音楽院に入学する。

 

1731年(21歳)に卒業し、卒業作品として音楽劇『グリエルモ・ダキタニアの改心』を作曲して、作曲家としての扉を開いた。同年、初のオペラ『サルスティア』を初演するも、不評に終わる。

 

1732年(22歳)、オペラ・ブッファ『妹に恋した兄』を初演し、最初の成功を収めた。

173323歳)年828日、サン・バルトロメオ劇場でオペラ『誇り高き囚人』を初演。

失敗に終わったにもかかわらず、この作品の幕間劇として作曲された『奥様女中(La Serva Padrona)』が歴史的な大成功を収め、オペラの歴史に大きな変革を齎した。

 

1734年(24歳)には、ナポリ楽長に就任。

1735年(25歳)、オペラ『オリンピアーデ』をローマで初演するが失敗し、ナポリへ戻る。この頃から体調が悪化し、療養しながら作曲に取り組んだが、1736年にはナポリ近郊ポッツオーリの聖フランチェスコ修道院に移る。

 

死の直前、ナポリ在住貴族の集まり「悲しみの聖母騎士団(Cavalieri della Virgine dei Dolori)」から委嘱された『スターバト・マーテル(Stabat Mater)』(悲しみの聖母)と『サルヴェ・レジナ Salve Regina』(めでたし女王)を作曲し、完成した後、結核により僅か26年の生涯を閉じた。

 

後生のモーツァルトと並ぶほどの才能を持ちながら、夭折してしまったのは惜しまれる。

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