2007/06/30
(;´д`)ゞ アチィー!!
2007/06/25
穴切(前編)
2007/06/23
ムソルグスキー オペラ『ボリス・ゴドゥノフ』(リムスキー=コルサコフ編曲) Act 3
完成されたオペラ第1作『ボリス・ゴドゥノフ』は、その上演を求めて1870年の夏に帝室歌劇場管理部に総譜を提出したが、帝室歌劇所側から上演を拒否されてしまう。
これに対しムソルグスキーは憤慨したが、ウラディーミル・スターソフや友人たち(その中には、リムスキー=コルサコフもいた)からの意見を聞いたうえで考え直し、すぐさまオペラの改訂に着手した。改訂版は、1872年の6月23日に完成された。
1869年に完成した原典版は、1871年2月17日になって歌劇場側から正式に不採用として通知がなされた。原典版は、標準的なオペラの形態から見れば極端に女声役が少ないなど大きく逸脱するものであったため、上演を拒否されたと見られる。
2007/06/22
ムソルグスキー オペラ『ボリス・ゴドゥノフ』(リムスキー=コルサコフ編曲) Act 2
1868年9月、ムソルグスキーは官史の勤務先を林野局に転じられたが、折よく幸運にも親友のオポチーニンが家に迎えてくれたため、その好意に甘んじて10月から本格的に作曲に着手した。
勤務先が近くにあり、静寂な郊外の周辺であったため 作曲は滞ることなく1868年10月から1869年の初夏までに声楽の総譜が完成され、同年の12月15日にはオーケストラの総譜も完成した(この時点で初稿を完成させる)
ムソルグスキーはオペラの作曲に着手して以来、しばしば友人たちの音楽サロンで完成した部分を聴かせていたという。
オーケストラの部分は、親友の顧問官ブルゴールドの令嬢ナデージダが受け持ち、ムソルグスキーは自分自身が歌手となって全てのパートを歌ったと伝えられる。
2007/06/21
ムソルグスキー オペラ『ボリス・ゴドゥノフ』(リムスキー=コルサコフ編曲) Act 1
ロシアに実在したツァーリ、ボリス・ゴドゥノフ(1551年 - 1605年)の生涯をオペラ化したもので、ムソルグスキーの作曲したオペラの中で、最も有名な作品である。
1868年、ムソルグスキーは当時燃えるような創作意欲と、作曲に没頭できない官史の生活との矛盾に苦しんでいた。その影響があるためか『ボリス・ゴドゥノフ』を作曲する以前の1856年に『アイルランドのハン』、1863年から1866年にかけて、フローベールの原作による『サランボー』、ゴーゴリの原作による『結婚』などのオペラを作曲したが、いずれも未完成に終わっている。
同年春、ムソルグスキーはリュドミーラ・シェスタコーワ夫人の音楽家のサロンにしばしば顔を出し、当時夫人のサロンに出入りしていた歴史家のウラディーミル・ニコルスキーと会い、ムソルグスキーがオペラの題材を探していることを話すと、ニコルスキーは早速「プーシキン物語」の中にある劇詩「ボリス・ゴドゥノフ」を作曲することを勧めた。
劇詩を読んだムソルグスキーは、物語の面白さに心を惹かれ「ボリス・ゴドゥノフ」をオペラ化にすることを決意した。
2007/06/17
感情移入(フィギュアスケート観戦ガイド)part4
2007/06/14
ブラームス 弦楽四重奏曲第2番(第4楽章)
http://www.yung.jp/yungdb/Composer.php
その意味では、ベートーベンの影を意識しすぎるあまり、結果として強い緊張感に満ちた作品となってしまった第1番よりは、どこかシューベルト的な風情が感じられる第2番の方が私には好ましく思えます。また、ブラームスの人生の最も幸福な時代に創作された第3番には、その幸福感が満ちあふれていて、これもまた実に好ましく思えます。
もっとも、暗い緊張感に満ちた第1番も、若い頃に聞いていたならば感想は変わったかもしれません。
ブラームスにとって、この3曲で「弦楽四重奏曲」というジャンルから提出された宿題は終わったのでしょう。これ以後、彼はベートーベンがあまり試みなかった楽器の組み合わせで、室内楽作品を書いていきます。弦楽5重奏曲や6重奏曲のように内声部を拡大した組み合わせの方が、彼のロマン的な性向には向いていたいようです。ピアノ四重奏曲や五重奏曲においても事情は同じです。
不思議なことですが、ブラームスという男は、終生、ベートーベンを意識しながら、逆にその重荷から解放されたときに、優れた作品を生み出しているように見えます。
それなら、最初から自分の好きなように振る舞えばいいのにと思うのですが、それが簡単にできないのが「人生」というものの難しさなのでしょう。
2007/06/13
ブラームス 弦楽四重奏曲第2番(第3楽章)
http://www.yung.jp/yungdb/Composer.php
ブラームスが残したこのジャンルの作品はわずか3つです。それは、ベートーベンの16と比べるとあまりにもささやかな成果のように思えます。しかし、残された資料を調べてみると、彼は第1番の弦楽四重奏曲を発表するまでに、20曲近い弦楽四重奏曲を作曲していたらしいのです。そして、あまりにも自己批判力強いこの男は、それらの作品を「発表するに値しない作品」として、全て廃棄してしまったらしいのです。
シューマンはそのうちの何曲かを出版するように勧め、ブラームス自身も一時はその気になったようなのですが、結果的には「その価値なし」」と判断して廃棄していまいました。
実に持って、勿体ない話ですが、そう思えば残された3曲の重みが分かろうというものです。
しかしなのです。そう言う重みが分かったとしても、実際に聞いてみればある種の物足りなさを感じてしまいます。
それは、ベートーベンの作品を引き継いで発展させたと言うよりは、ロマン派の時代に相応しい濃厚な感情が表出された作品というように聞こえます。
おそらく、そのように受け取られることをブラームスは良しとはしないでしょうが、残念ながらそのような作品として私は受け取りたいと思いますし、評価したいと思います。
箕面(ミノヅラではありませんw)
ポリネシア語による解釈
(1)滝の流水が箕の面に似ているから
(2)「水尾」の意
出典http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/