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ただ、ヘブライ人のパレスチナ地方への侵入にも、幾つかの部族による段階的なものがあったのでは、とされています。すなわち、先ず「アブラハム族」が紀元前1800年頃移動して北に迂回してパレスチナ地方に入り、その後400年くらい経って前1400年頃に「ヤコブ族」がやはり北に回って東側から入り、最後に何等かの事情でエジプトに流れていた「セム族(ヤコブ族?)の一派」が前1200年頃エジプトを出て、「モーゼ」に率いられてパレスチナ地方に入っていったのではなかろうかというわけです。この最後の「モーゼ」による侵入以降が、とりわけ大事だとされるのでした。
ただし、肝心のエジプトにいたという「セム族(ヤコブ族?)の一派」については、これを疑問視する見解も有力なものとしてあります。しかし、ここでは一般の説に従って一応「エジプトから」としておこうと思います。
西方セム族の神「バール神」
一方、こうしたヘブライ人の侵入以前にも、パレスチナ地方には人々が住んでいたわけで、宗教的な側面では北方シリア方面に展開していた「ウガリト王国」がとりわけ重要とされます。
この「ウガリト王国」は、イスラエル民族がこの地方に進出してくるずっと以前、紀元前2000年代から繁栄した古代都市国家で、東方のシュメール・アッシリア・バビロニアとも、またさらに北方の小アジアにあったヒッタイトとも交流し、また西のエーゲ海にも進出し、少し遅れてきたギリシャ・ミケーネ人にも影響を与えたであろうとされている民族でした。もちろんセム族の一派で、同じセム族の民族で後代に重要民族として歴史に名前を留める「フェニキア人」は、その親類筋の民族であったとされています。
そのウガリト王国からは、その文書であるウガリト文書が大量に発掘されたことから、その王国やその神のあり方の詳細が知られます。しかし、これは当然ウガリト王国だけの神であるより、むしろ西方に展開していたセム族の神と考えるべきで、したがって近親関係にあったフェニキア人も同様の神をもっていました。
その神体系の中で「バール」という神が有名になっています。「バール」は、この地方に展開したセム族の神として、紀元前3000から1000年代にかけて、この地方において有力であった神であり、『旧約聖書』の列王記の17章以下での「予言者エリア」の伝承において「イスラエル」にさえ「バール神信仰」が盛んになっていたことが記されています。その時の王「アハブ王」の后「イゼベル」はフェニキア人とされていますので、フェニキアの「バール神」信仰の影響かと推測されます。
この証言からは、この時代はやはりフェニキア人もヘブライ人も混在し(同じセム族に属する親類ですから、不思議ではありません)、ダビデによって「イスラエル王国」が結成され、ソロモンによってヤハウェ神殿が建造されていても、未だその神観念が一本化、絶対化されていたわけではないことが良く分かります。ヘブライ人独自の「ヤハウェ信仰」が、ヘブライ人(イスラエル人)にとって絶対のものになるのはバビロン補囚の後、一般に「ユダヤ教成立時代」とされる紀元前五世紀にまで、大きく下がってこなければならないでしょう。それまでは「ヤハウェ信仰の準備時代」と言うべきだと考えられます。
「バール神」を伝えるウガリト文書で、その神話を簡単に紹介してみましょう。神々の集会があり「天の神イルウ(エール)」のもとに皆が集まって来たとき、海の竜神である「ヤム(混沌をあらわすとされる)」は自分が支配者になろうとして、使者を送り込んだという。老いたイルウはそれに譲歩してしまうが、「バール」は激怒して、職人の神が作り出した特別の棍棒をもってヤムと戦い、これにうち勝つ。
神々の宴会があり、バールの妹「アナト」の勇猛さが示される。バールは、この妹「アナト」に依頼して支配者にふさわしい宮殿を造ってくれるよう天の神に頼み、そこに住まう。しばらくして「冥界の神モト」が冥界に来るよう声をかけ、バールは出かけていく。しかし冥界にあって、バールは騙されてモトに捕らわれてしまう。一方、妹のアナトはバールを求めて冥界へと来たり、モトを倒していく。しかしモトは復活してしまい、他方自由となっていたバールはモトと壮絶な戦いの後、ついにモトにうち勝つ。しかし「バール」は七年の支配の後、地下に降りていった。
この神話に見られる「バール」は「戦士」であると同時に、実は「穀物」も象徴しています。地下にいったり「再生」したりは、その穀物の姿を現しています。「七年後の地下への下り」などは、ヘブライ神話である『創世記』41.29にある「豊壌の七年」にそのまま受け継がれています。
一方「妹のアナト」は、東方のシュメール・バビロニア系列の「女神イシュタル(イナンナ)」と同じ性格を持っているといえます。この「バール」は、西方セム族間において別名「ハダド」とも呼ばれ、それは「主」という意味をもって「主神」となり、後代のギリシャのゼウスに似た性格を持っていて「雨・雷光」をつかさどり、強大な戦士であると同時に穀物の繁栄を司って、彼と女神との性的交渉が「繁栄のシンボル」として「聖婚」儀礼が各地で行われたようでした。
この「ウガリト」の神観念に、バビロニアなど東方のセム族との近似性が認められるように、同じセム族である「ヘブライの神話」が、これらと無縁に存在していたわけもなく、その原型はすべてのセム族に共通していて、それが各部族ごとの展開を見せていったと考えられます。ですからその「神観念」も「世界観・人間観」も、基本は元来のセム族のものであり「ヘブライ・ユダヤ教」に特有とされるさまざまの特質も、この展開の中に考えられるべきでしょう。