2006/04/02

旧古河庭園

上野公園、千鳥ヶ淵、六義園、近所では井之頭公園といった有名どころの桜は見尽くし、他にどこかないかとネットで検索して目を付けたのが旧古河庭園だった。桜というよりはバラの名所として有名らしいが、六義園から比較的近いことも手伝って、同じ日に訪ねて行った。

 

旧古河庭園は、東京都北区西ケ原にある都立庭園である。1919年(大正8年)に古河財閥の古河虎之助男爵の邸宅として現在の形(洋館、西洋庭園、日本庭園)に整えられた。現在は国有財産であり、東京都が借り受けて一般公開している。国の名勝に指定されている。東京のバラの名所として親しまれている。


歴史

創建

明治20年代、政治家・陸奥宗光が当地を購入し別宅とする。明治38年(1905年)、宗光の次男・潤吉が古河財閥創業者である古河市兵衛の養子(2代当主)となったため、古河家に所有が移った。当時の建物は現存しない。

 

1914年(大正3年)、古河財閥3代当主の古河虎之助(市兵衛の実子)が周囲の土地を購入し、9,470坪を古河家の本宅用として、整備を開始した。

 

1917年(大正6年)、西洋館と洋風庭園が竣工した。設計は、イギリス出身の建築家ジョサイア・コンドル。

 


1919年(大正8年)には日本庭園も竣工し、現在の形となった。設計は近代日本庭園の先駆者・京都の庭匠「植治」こと7代目小川治兵衛。小川は他に京都無鄰菴、平安神宮神苑、円山公園などの設計で知られる。

 


特徴

武蔵野台地の斜面を巧みに利用した造りとなっており、台地上に洋館を、斜面に洋風庭園、斜面下の低地部に日本庭園が配置されている。

 

バラの季節

1917年(大正6年)5月竣工。延べ414坪。地上2階・地下1階。外観はスコティッシュ・バロニアル様式を目指したとされる。古河虎之助がコンドルに設計を依頼した時期や経緯は明らかではないが、1911年(大正3年)ごろ、洋館の設計がなされている。屋根はスレート葺き。煉瓦造の躯体を、黒々とした真鶴産の本小松石(安山岩)の野面積みで覆っているのが特徴的である。

 

南側の庭園から見た外観は、左右対称に近く、両脇に切妻屋根を据え、その間の部分は1階に3連アーチ、2階には高欄をめぐらしたベランダが設けられて、屋根にはドーマー窓を乗せている。全体的に野趣と重厚さにあふれ、スコットランドの山荘の風情である。内部に入ると、玄関扉にはステンドグラスが設けられ、古河家の家紋、鬼蔦のデザインが見られる。

 

1階は食堂、ビリヤード室、喫煙室などの接客空間ですべて洋室である。大食堂の壁面は真紅の布張りで、大きな暖炉が設けられ、天井にはパイナップルやリンゴなど果物の装飾が見られる。応接室にはバラのモチーフが随所に配されている。

 

2階は家族の居室など私的空間で、ホールと寝室が洋室である以外はすべて畳敷きの和室である。ホールと各和室は洋風のドアで区切られた上、板の間の緩衝地帯があり、さらに障子や襖で区切られて和室空間に入るという構造になっている。仏間には前室との間に禅寺を連想させる火灯窓風の出入口がしつらえられている。また、客間は書院造である。コンドルの和と洋の共存への苦心が伺われる。同じコンドルの旧岩崎邸庭園が和室は和館、洋室は洋館という並列形式であるのに対し、洋館の中に和室が内包されているのが特徴である。

 

現在は公益財団法人大谷美術館が洋館の管理を行っている。洋館内部は13回、時間を決めて行われているガイドツアーに参加すると見学可能。本館部分の1階から2階までを解説付きで見学できる。(所要時間1時間、見学料800円入園料別)

自由に内部の見学ができないので注意が必要。この見学会は公式サイトあるいは往復はがきでの事前予約が原則だが、当日に予約の空きがあれば予約がなくても参加可能。ただし、バラの開花時期には予約が定員を超えることも多いので、予約をしておくと確実で待ち時間なく見学会に参加できる。

 

また、洋館1階の一部には喫茶室が設けられており、春と秋には窓越しにバラ園を望みながらお茶を飲むことができる。この喫茶室にも時間になると見学ツアーが入ってくるので、お茶を飲みながら説明の一部分をツアー参加者と一緒に聞くこともできる。また、結婚式やコンサートなどで洋館を貸し切ることも可能で、大正時代の瀟洒な洋館での記念行事は雰囲気が良く人気がある。文化財という場所柄の特別な条件や制約もあるが申し込みは誰でも可能で、諸条件は電話での問い合わせや実際に下見に行って聞くことができる(貸切日の洋館内部の公開は休止となる)。

 

洋風庭園(バラ園)

バラ園:イタリア風の斜面のテラスに設えられているが、内部は幾何学的なフランス風

洋館南側には洋風庭園がある。全体的には、斜面に石の手すり、石段、水盤などが配され、バラ園のテラスが階段状に連なっており、立体的なイタリア式庭園となっているが、テラス内部は平面的で幾何学的に構成されるフランス式庭園の技法があわせて用いられている。

 

バラのテラス庭園は、1段目の花壇は正しく左右対称形であるが、2段目から中央の階段を挟んで左右に方形の植え込みとなっている花壇東側の方形北東部が、斜面突出部によって欠けている。これはコンドルが敷地下部の日本庭園との調和をはかるため、意図的にバラ園の対象形を崩したものと推測されている。

 

現在、バラ園には、約100199株のバラが植えられている。

 

3段目のテラスは非整形的なツツジ園となっており、手前の西洋庭園と奥の日本庭園との連続性をもたせる仕組みになっている。コンドルは単なる西洋建築の技術者ではなく、「日本の山水庭園」("Landscape Gardening in Japan")という著作もあるほど日本庭園に対する造詣を持っていたので、日本庭園との調和を計算に入れて建築、築庭を苦心した。

 

日本庭園

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日本庭園は洋館、洋式庭園の完成に続いて、大正8年(1919年)に完成。京都の造園家・七代目小川治兵衛の作。斜面の一番底部に位置する池泉回遊式庭園である。シイ、モチノキ、ムクノキ、カエデなどの鬱蒼と茂った樹林のなか、「心」の字を崩した形の心字池を中心に、急勾配を利用した大滝、枯山水を取り入れた枯滝、大きな雪見灯籠などが配されている。

 

心の草書体をかたどった心字池は、鞍馬平石や伊予青石などで造られ、池を眺める舟付石、正面には荒磯、雪見灯籠、枯滝、石組み、背後には築山が見られる。枯滝は、心字池の州浜の奥の渓谷の水源を模している。大滝は、園内で最も勾配の急な箇所を削って断崖とし、十数メートルの高所から落ちる。曲折した流れから発し、数段の小滝を経て、深い滝壺に落ちる。

 

心字池と大滝の間には、入母屋造の茶室が設けられている。茶室は大谷美術館の管理。

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