2017/11/10

トヨタマビメ(豊玉姫)とタマヨリビメ(玉依姫)

『古事記』では豊玉毘売・豊玉毘売命(トヨタマビメ)、『日本書紀』・『先代旧事本紀』では豊玉姫・豊玉姫命(トヨタマヒメ)と表記する。

 

海神・綿津見神(海若)の娘。天孫・邇々芸命が大山津見神の娘木花佐久夜毘売との間にもうけた火遠理命(=山幸彦)と結婚し、鵜茅不合葺命を生む。

出産の際に『古事記』や『日本書紀』一書では八尋和邇(やひろわに)の姿、『日本書紀』本文では龍の姿となったのを、火遠理命が約を違えて伺い見たため、綿津見神の国へ帰った。鵜茅不合葺命は、トヨタマヒメの妹・玉依姫神に養育され、後に玉依姫神との間に神倭伊波禮毘古命(=神武天皇)をもうける。

 

『記紀』に明確な記載はないが、豊玉という名前から勾玉の一大産地であった出雲の姫であるとの指摘がある。

 

松村武雄(1884-1969)によれば、女が本国人の姿で出産し、これを見ることが禁忌であるのは女が夫の神と異なる部族の神を祀る物忌みの期間が夫にとって呪禁であり、これを犯せば社会的制裁を受けるという習俗の反映であり、ワニに化したのは海人族がワニをトーテムとして崇拝したことを示唆する。

 

産屋にウの羽根を用いるのは安産呪術であり(『釈日本紀』『日本紀纂疏』)、産屋が設けられたとき天忍人命がカニを掃ったのは生児の長寿息災をことほぐ類似呪術であり、産屋を完全に葺かずにおくことは生産習俗であり(沖縄)、産屋を海浜に設けるのは水の神秘的勢能による生児の霊力の証示と関連する。

 

夫がトヨタマヒメに生児の名を問うたのは『古事記』垂仁天皇条と同じく命名権が母に存した制の名残であり、トヨタマヒメが海阪を塞き止め海陸往来が絶えたのは黄泉比良坂(よもつひらさか)のイザナギとイザナミの神話を髣髴させ、上古の母権社会と古代の父権社会との拮抗を感じさせる。

 

今昔秀歌百撰で豊玉毘賣命は1番で、 赤玉は緒さへ光れど白玉の君が装し貴くありけり (出典:古事記 上巻、選者:土田龍太郎(東京大學教授))

 

タマヨリビメ(タマヨリヒメ、玉依姫)は、霊(たま)の憑(よ)りつく巫女、神。『古事記』は玉依毘売命、『日本書紀』は玉依姫尊と表す。

 

記紀・風土記などに見える女性の名で、固有名詞ではない。従って、豊玉姫の妹(海神の娘)や、賀茂別雷神の母などとして数多く登場する。

神霊を宿す女性・巫女。

 

日本書紀第七の一書に、「一に云はく」として、高皇産霊神の子の児萬幡姫の子として玉依姫命が見える。ここでいう児萬幡姫は栲幡千千姫命の別名で、天火明命と瓊瓊杵尊の母である。

 

日本神話で、海の神の娘。ウガヤフキアエズノミコト(鸕鷀草葺不合尊)の妃となり、四子を産んだ。末子は神武天皇(カンヤマトイワレビコノミコト、神日本磐余彦尊)。

賀茂伝説で、タケツヌミノミコト(建角身命)の娘。丹塗矢(本性は火雷神)と結婚し、ワケイカズチノカミ(別雷神)を産んだ。

 

綿津見大神(海神)の子で、豊玉姫の妹である。天孫降臨の段および鸕鶿草葺不合尊の段に登場する。トヨタマビメがホオリとの間にもうけた子であるウガヤフキアエズ(すなわちタマヨリビメの甥)を養育し、後にその妻となって、五瀬命(いつせ)、稲飯命(いなひ)、御毛沼命(みけぬ)、若御毛沼命(わかみけぬ)を産んだ。末子の若御毛沼命が、神倭伊波礼琵古命(かむやまといはれびこ、後の神武天皇)となる。

 

『古事記』および『日本書紀』の第三の一書では、トヨタマビメは元の姿に戻って子を産んでいる所をホオリに見られたのを恥じて海の国に戻ったが、御子を育てるために、歌を添えて妹のタマヨリビメを遣わした、とある。『日本書紀』本文では、出産のために海辺に向かう姉に付き添い、後にウガヤフキアエズの妻となった、とだけある。

 

第一の一書では、トヨタマビメが海の国へ帰る時に、御子を育てるために妹を留め置いた、とある。第四の一書では、一旦トヨタマビメは御子とともに海に帰ったが、天孫の御子を海の中に置くことはできず、タマヨリビメとともに陸に送り出した、とある。

 

「タマヨリ」という神名は「神霊の依り代」を意味し、タマヨリビメは神霊の依り代となる女、すなわち巫女を指す。タマヨリビメ(タマヨリヒメ)という名の神(または人間の女性)は様々な神話・古典に登場し、それぞれ別の女神・女性を指している。例えば、『山城国風土記』(逸文)の賀茂神社縁起(賀茂伝説)には、賀茂建角身命の子で、川上から流れてきた丹塗矢によって神の子(賀茂別雷命)を懐妊した玉依比売(タマヨリヒメ)がいる。

 

他に、大物主の妻の活玉依毘売(イクタマヨリビメ)がいる。日本書紀・崇神紀には、活玉依媛(イクタマヨリビメ)とあり、

天皇(中略)而問大田々根子曰「汝其誰子。」對曰「父曰大物主大神、母曰活玉依媛。陶津耳之女。」亦云「奇日方天日方武茅渟祇之女也。

 

『天皇、大田々根子に問ひて曰はく「汝は其れ誰が子ぞ。」こたへて曰さく「父をば大物主大神と曰す、母をば活玉依媛と曰す。陶津耳(すゑつみみ)の女なり。」亦云はく「奇日方天日方武茅渟祇(くしひかたあまつひかたたけちぬつみ)の女なり。』と記されるとおり、活玉依媛の親を陶津耳またの名を奇日方天日方武茅渟祇としている。

 

全国にタマヨリビメという名の神を祀る神社が鎮座し、その多くはその地域の神の妻(神霊の依り代)となった巫女を神格化したと考えられる(一般には、神話に登場するウガヤフキアエズの妻のタマヨリビメとされることが多い)。賀茂御祖神社(下鴨神社)に祀られる玉依姫は『山城国風土記』に登場する玉依姫である。

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