天地国土の現在のありさま、またその生まれた最初の様子については、外国のものは仏教書であれ、中国の儒教の説であれ、みな人間の浅知恵が及ぶ限りのことを考えて、推測で作った説に過ぎない。中でも天竺(インド)の説などは、女子供を騙すような他愛もない妄説だから、論ずるにも足りない。漢国の説は、少しはものを考えて作った説なので、ちょっと聞いたところでは、いかにももっともらしく聞こえるのだが、よく考えると彼らの言う太極、無極、陰陽、八卦、五行など、本来は何もないところからひねり出した仮説にすぎず、それにあれこれの事象を無理に当てはめて見せて、まるで天地万物はこれらの「原理」がなくては生じないかのように説いただけであるから、やはり妄説である。
一般に物の法則や原理は完全に突き止めることはできないものであるから、人知の及ぶところではなく、まず理論を立ててそれに事象を当てはめるような説は、どれも受け入れることはできない。人の浅知恵の及ぶところは、ただ眼前にする限り、心の及ぶ限り、推測できる限りのことであって、それらが及ばない本当の真理に至っては、どう考えても知るすべはない。
とすると、この天地創成の初めから現在のようになってきた過程なども、その八百万年、一千万年の後に生まれたわれわれが、どうして知り得ようか。だがわが皇大御国(すめらみくに)は伊邪那岐・伊邪那美両大神が直接お作りになった国で、天照大御神がお生まれになった国、皇御孫尊(すめみまのみこと)が天地と共に永遠にお治めになる国であって、万国に優って秀でており、四海の宗主国であるから人の心もまっすぐで正しく、外国のように妙な詮索をして偽った説を言うこともないため、天地の初めのことなども、いささかも個人の作為を加えることなく、ありのままに神代から伝わってきた。これこそ虚偽のない、真正の説なのである。
そもそも、かの漢国の説などは少し聞くといかにも理屈が深そうで本当のことに聞こえ、それに比べて皇国の伝えは何だか浅はかで、特別な理論などもないように聞こえるけれども、あっちは妄説、こちらは真実であるから後世になって色々な考えが精緻になるに従って、それら虚妄の説の誤りが次第に明らかとなったのだが、皇国の伝えの真実は少しも違うことがない。というのは、最近の世になって、遙か西洋の人々は思いに任せて世界の海を巡り、この大地のあり方を地は丸くて虚空に浮かび、日や月はその上下を廻っていると考えついたのだが、かの漢国の古い説はそういうこととは非常に違っていることからも、一般に理を先に立てて事実を無理に当てはめるやり方が、どんなに誤っているか分かるだろう。
ところが皇国の古い伝えは、初めに虚空の中に一物が発生したことから、それに次いで色々の物が生まれてきたことも、すべて今の現実のあり方と少しも違わない。このことからも、古伝が真実であることが分かる。しかし、かの遙か西洋の人々は、この大地の様子を実際に見て知り、虚空のことも精密に調べて漢国の説に比べて優る点が多いが、それでも人間の推測できる範囲を出ておらず、その能力を超えた部分は、まだ知り尽くせないでいるのだから、まして日月がどうして現在のようになったのか、その初めのことは知るすべを持たない。
思うに、それらの国々にもそれぞれの言い伝えはあるのだろうが、それもやはり後代の人の推測に過ぎず、漢人や天竺の説と大差はない。皇国の伝えは、そういうものではない。皇国は「神ながら言挙げしない国」といって、万事が外国のように賢げに口うるさく論じたりしないで、ただ大らかな御国ぶりだから、大地の初めなども、そうした外国の説のように「これは、こういう理由でこうだ」、「それは何々の原理によってこうなる」などと、細々とあげつらうことがない。ただあったことをそのまま、大らかに語り伝えただけである。
だから上代に、まだ外国の説などといったものが入り混じらなかった頃には、世の人々はみな古い伝えを素直に伝えただけで、特に異論もなかったのだが、後に外国の小賢しい議論が入ってきて、人々はそういう説のうわべの見事さに騙されて、いにしえの伝えの真の趣を忘れてしまい、ひたすら外国の説ばかり信じることになった。そのため神の書を読み解く人も、みなその外国の説によって説こうとし、本当のいにしえの趣を理解する人は、世に一人もいなくなってしまったのである。
だが本居宣長大人は、以前からその誤りを知り、少しも外国の考えを交えないで全く皇国の古い伝えだけによって、神の書の趣を詳細に考えて「古事記伝」を書いたので、ここにようやく神代からの真実の伝えが世に明らかとなった。私、中庸はつたない者ではあるが、神の御魂の祝福があって幸いにもこの大人の同郷に生まれ、勤務の合間には直接その教えを受けて正しい道の片鱗を伺うことができた。こうして、この天地の成り立ちとあり方を、かの古事記伝によって見ると、人があれこれと作為して言っている外国の説などは、とうてい及ぶところではない。実に限りなく深い神秘の妙であり、神代の伝説が最も尊いことが分かる。
そこで私が少し思いついたこともあるので、試みに大人に話して見たところ、それほど悪くもないとおっしゃってくださったので、その過程を十の図に描いてみて、また文も書き添えて一つの書にまとめ、「三大考」と名付けた。「三大」は「天地泉(あめ・つち・よみ)」の三つである。これを「大」と言うのは漢語のようでもあるが、書の題名だから、これでも良いかと思う。実際には、それらのありさまについて、外国のさかしらの説は一切採用していない。全く皇国の古い伝えに即していて、詳しいことは、すべて古事記伝に依っている。そのため大部分のことは古事記伝に委ねて、詳しくは言わない。その書を参照されたい。日頃ただ漢の書物にばかり心を奪われている人は、奇妙に思うだろうが、そういう先入観は捨てていただきたい。
寛政三年辛亥五月
伊勢人 服部中庸
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