2017/11/21

深草

 京都市の南部、名神高速道路が走っているあたりに、「ふかくさ(深草)」という地名があります。龍谷大学や京都教育大学のキャンパスがあることで、ご存知のかたもおありでしょう。戦前、ここに旧日本軍の師団がおかれ、京都の人たちは近くを走る国道24号線のことを「師団街道」と読んでいました。

 

源氏物語の深草の少将をはじめ古典文学・芸能に登場する地名で、その昔は都のはずれで草深いところだったことは間違いなく、それでこんな地名がついたのだろうと思っていましたが、どうやら違うようです。

 

 地名研究書を読んでみると、その謎を解くカギは、同じくこのあたりにある地名の「ふじのもり(藤森)」「ふじお(藤尾)」の「ふじ」にあるようです。このあたりに「ふじ(藤)」の木がたくさん自生していて、季節になると「藤の花」が咲き誇り、みんながめで楽しんだというのなら、「ふじのもり(藤森)」も「ふじお(藤尾)」という地名もなるほどと納得できるのですが、そういう藤の群生地は見当たりません。

 

 吉田金彦先生の『京都の地名を歩く』には「藤森」「藤尾」の「ふじ」は「藤の花」の「藤」ではなく、先生の説を要約すると、昔の言葉で人が行き来することを意味する「経(ふ)」と、道路を意味する「道・路(みち)」が一つになり、昔は「フ・ミチ」と言っていたのがいつしか「フジ」と言うようになった、とのことです。「宇治(うじ)」が「畝(うね)」の「う」と「道・路(じ)」が一つになったもので、「畑の畝のようにもりあがった都への路」を意味するのと同じだという説です。

 

 それで、「ふかくさ」とは、そういう道=経(ふ)があるところを意味し、「ふ(経)」と場所を意味する「か(処)」が一つになって「ふか」となり、さらにこのあたりが湿地帯であったことから、湿地であると同時に採草地も意味する「くさ」とがくっついて「ふかくさ」と呼ばれるようになり、そこに「深草」という漢字が当てられたというのが地名ルーツではないかというわけです。

 

 ただ、この「ふか」については、吉田先生の「経(ふ)処(か)」とは異なる説もあります。それは各地の「深川(ふかがわ)」「深日(ふけ)」「深田(ふかだ)」「深谷(ふかや)」「深津(ふかつ)」など、「ふか」がつく地名に共通することなのですが、「ふか」は湿地を意味する「泓(ふけ)」がルーツで、「くさ」も湿地を意味する、いわゆる重ね地名だという説です。確かに、このあたりは加茂川の支流がながれていたところで湿地、その伏流水で地下水が豊富でしたから酒造りが行われたので、この説も捨てがたいのではないでしょうか。

 

夕されば野辺の秋風身にしみて

うずら鳴くなり 深草の里

 

古くは紀伊郡に属し、深草郷といった。紀伊郡とは紀氏一族がこの地に勢力を占めていたと伝え、紀氏とは神武天皇の御代、紀伊国(和歌山県)の国造(くにのみやつこ)になった天道根命を祖とする古代豪族の一です。

 

神功皇后に仕えた武内宿禰は、紀氏の女(影媛)が考元天皇々子(彦太忍信命:ひこぶとしのぶまことのみこと)と婚して生まれたもので、その子・紀角宿禰(きのつぬのすくね)は奈良時代の中央政界にあって活躍した。特に蘇我氏と同族であるが帰化人の秦氏を配下に国家財政を握り、各地に勢力を扶植した。

 

紀伊郡深草の地も、その一つで先住民を勢力下に吸収、紀氏と共に深草の地盤を築いた伝える事が、藤森神社は紀氏の祖人を祀った氏神社だと伝える由縁です。次いで秦氏が来住し、稲荷ノ神を祀って農耕守護神と崇め、深草一帯の開発に努めた。しかし、蘇我氏滅亡後、紀氏も次第に勢力を失墜し秦氏のみが栄えた。

 

平安時代になると、藤原氏の勃興により多くは藤原氏の荘園となり、一族の山荘、別荘の多くが寺院と共に造営された。桓武天皇や仁明天皇以下、多くの貴紳を当地に埋葬したのは当地が単に風光明媚であったたげでなく、清浄の地でもあったからだと伝える。

 

王朝時代の歌人が深草の風景を詠ったのは、往時はウズラや月の名所として嵯峨に劣らぬ所であった。在原業平も、しばしば当地に住まいしたことがあり、深草少将は当地から小野小町の元へ百夜の間通い続けたなど、古来幾多のロマンスや伝説が今に語り伝えられている。

 

出典http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/

深草は、京都市伏見区北部一帯の地で、東山連峰の西麓部にあたります。この地名は、『日本書紀』欽明即位前紀に秦大津父(はたのおほつち)の居住地としてみえます。ここは秦氏が勢力を占め、伏見稲荷も秦氏が創立したと伝えられています。また、ここは歌枕の地であり、葬送の地でした。『和名抄』は、紀伊郡深草郷を「不加乎佐」と訓じており、「乎」は「宇」または「久」の誤りと解する説があります。

 

 この「ふかくさ」は、

(1) 「草深い地」の意

(2) 「フカ」は「フケ」の転で「湿地」の意

 

とする説があります。

 

 この「ふかくさ」は、マオリ語の

 

「フ・カク・タ」、HU-KAKU-TA(hu=promontry,hill;kaku=scrape up,bruise;ta=dash,strike,lay)、「傷がある(削ってならした)山」

 

の転訛と解します。

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