2017/11/13

パルメニデス「あるものはある」「ないものはない」





  パルメニデスは、紀元前515年くらいの生まれと推定されていますが、そうだとするとタレスから110年くらい、ピュタゴラスからは55年くらい後の人ということになります。パルメニデスが老人になった時会ったとされるソクラテスは彼から45年くらい、プラトンは88年くらい後に生まれることになります。


彼は南イタリアのエレアの人でした。そういう意味でも、ピュタゴラスの系譜にあるということが言えます。そして実際、先に言及したディオゲネスは、パルメニデスはクセノファネスの弟子というより、むしろピュタゴラス学派のアメイニアスの弟子といえる、という意味の伝承を伝えています。ただしそれは、内容的にみると「魂のことを問題とする哲学者」としてではなく「論理で世界を突き詰めて行く」という面での後継者であったと言えるでしょう。

「ある」の意味
 この「論理による追及」がどんなものかを見る前に、ヨーロッパ言語にまつわる問題をみておかなくてはなりません。これはヨーロッパの人達にとっては大問題になることであったのですが、日本人にとってはあまり問題にならないことなので、私たちには分かりにくいものだからです。それは、動詞「ある」という言葉にまつわる問題で、私たちにとっては「ある」といえばそれは殆ど「存在」を表していて、主語と形容詞や副詞を結び付ける動詞として使われることは、殆どありません。つまり、「本はここにある」とは言いますが「本は白くある」という言い方はかなり特殊な言い方で、普通には「本は白い」で終わりです。しかしヨーロッパの言語では、どちらの場合も「be」動詞を使います。

たとえば英語でも「There is a book」というように「存在」を表すと同時に「This book is white」というように「主語と形容詞の結び」にも使われるわけです。こうして「存在」と「ただの結び付け」とが混同されてしまうという事態が生じるのです。さすがにプラトンやアリストテレスはこれに気付いていて、この混同を問題にしていますが、彼等以前には殆ど気付かれず、またアリストテレス以降でも色々と厄介な論議を引き起こしたのです。

ギリシャの場合、ソクラテス以前の自然学者の段階では「性質と物質」、「抽象的なものと具体物」というものの明確な分別がない、という存在認識も原因しているかもしれません。実のところ、こうした分別・明確化というのは、こうした彼等の思索を通して為されてきたのであり、現代人には常識と思われていることも、長い時間をかけたギリシャ哲学者の思索の賜物であって、ガスリーたちが指摘しているように、元来人間はこうした分別はせずに世界をそのものとして、あるがままに捕らえていたものなのです。もし彼等の思索がなく、あるいはルネッサンスでギリシャ思想が復興しなかったとしたら、依然として人類は「そんな細かなこと」には神経を尖らせず、世界をあるがままに捕らえていたかも知れないのです。

ガスリーは、さらに続けて文法だの論理学だの現代人にとっては全くの常識となっていて、誰でも無意識のうちにそれを使って思考をしているけれど、これが確立していない時代は当然そんな考え方はしないし、できない。そんな時代の人を、その時代に立ち返って理解しようというのは現代人にとっては非常に難しいことだ、といっています。私たちは、そうした「難しい」ことをしているわけなので、少々理解に苦しむところがあっても当たり前の話だ、と腹をくくって見て行くしかありません。

それは何のためなのかというと、私たちの考え方のルーツ・原形を見て、私たちの思考の在り方そのもの、そして時には限界を見定めていくためなのです。実際、私たちが古代の思想を研究することの最も重要な意味はそこにあって、加えて時には私たちが忘れてしまった大事なことをここに見出だすこともあり、私たちが行き詰まっていることの打開策が、ここに見つかったこともしばしばなのです。それも当たり前の話で、私たち現代人の思考の原点がここにあるからなのです。

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