2018/05/07

ソクラテス問題(6)

著作をおこなわなかった理由
ソクラテスは、書記言語が野放しの状態の普及を激しく非難していた。ソクラテスは、話し言葉、つまり「生きている言葉」は、書き留められた言葉の「死んだ会話」とは違って、意味、音、旋律、強勢、抑揚およびリズムに満ちた、吟味と対話によって1枚ずつ皮をはぐように明らかにしていくことのできる動的実体であると考えた書き留められた言葉は反論を許さず、柔軟性に欠けた沈黙であったので、ソクラテスが教育の核心と考えていた対話のプロセスにはそぐわなかったのである。

ソクラテスは、書き言葉が記憶を破壊すると考えた。個人的知識の基盤を形成するにふさわしい厳密さを期待できるのは暗記するという非常な努力を要するプロセスのみであり、そうして形成した知識基盤は教師との対話の中で磨いていくことができるという信念を抱いていたからである。

ソクラテスは読字を恐れていたわけではないが、過剰な知識が必然的にもたらす結果、表面的な理解しかできないことを恐れていた。

ソクラテス問題
ソクラテスは自説を著作として残さなかったため、今日ではその生涯・思想共に、他の著作家の作品を通してうかがい知ることができるのみである。これは「ソクラテス問題」として知られる一連の問題を発生させている。

同時代の作家の内、劇作家・詩人のアリストパネスは戯曲『雲』においてギリシャのソフィストたちを揶揄し、その筆頭としてソクラテスを挙げている。ここでは、ソクラテスの言動は揶揄のために誇張されていると考えられる。

同じく、ソクラテスの弟子であるプラトンの記した一連の対話篇には、ソクラテスが頻繁に登場する。しかしながら、特に『メノン』以降のソクラテスは、プラトンの思想を表現するための人物として利用されている感がある。

他の弟子による文章の一部や、プラトンの弟子にあたるアリストテレスによる記述をはじめ、後世の著作家による記述も残っている。ソクラテスの弟子の一人とされるクセノポンは『ソクラテスの思い出』などソクラテスに関する文章を記しており、今日まで比較的よく保存されている。ただし、西洋哲学の場においては「一切の哲学はプラトンの注釈である」と言われるように、ソクラテスについての理解もプラトンの著作と思想(プラトン主義)を通じて行われる厚い伝統があり、クセノポンの描くソクラテスは通俗的で哲学者としての力量をとらえきれていないとする風潮がある。

クセノポンのソクラテス像
『ソクラテスの思い出』(以下『思い出』と略)でクセノポンが繰り返し強調しているのは、ソクラテスは「神々が目に見えないと言う理由で信じない者は、自分の心も目に見えないものであるということを忘れている」と主張した点である。ここで「目に見えない」とは、ガラスのように単に無色透明であることを意味すると理解するのは初学者の陥りやすい間違いであろう。クセノポンのソクラテスの態度はキリスト教の伝統的神秘主義に近く、イデア説とは全く関わりがない。

この書でのダイモニオンについてのソクラテスの解説は、キリスト教の聖霊論に非常に類似している。また、「最高善」というものについては、ソクラテスが「人間は結局のところ何が最善なのか知り得ないのだから」と言って、神々にただ「善きものを与えたまえ」と祈るように勧めたという逸話もキリスト教の主祷文に通じる。根本的に違うのは、「敵を愛せよ」というナザレのイエスの教えがソクラテスにおいては、あたかも意図的であるかのように全く逆さまに書かれている点である(イエスの時代は、ソクラテスの時代の約四百年後)。これは、戦争に参加もしたソクラテスの根本姿勢が、アテナイ民主制の伝統的価値観に依拠していることによるのであり、この点においてソクラテスをナザレのイエスよりも孔子に引き寄せて評価する立場もある。概して『思い出』におけるソクラテスは、プラトンの登場人物としてのソクラテスよりも明瞭に宗教的人物である。

クセノポンは、ソクラテスは自分が裁判に訴えられたと知るとすぐさま反論を組み立て始めたが、ダイモニオンがそれを制止したと書いている。ストア派の創始者であるキティオンのゼノンは、商人時代に書店で『思い出』に出会ったことから哲学の道に入った。一般にストア派におけるソクラテスの影響はプラトンではなく、クセノポンを通じてのものである。
出典 Wikipedia

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