2018/05/07

京料理と季節感 ・ もてなしの日本文化/農林水産庁Web

3 京料理と季節感 ・ もてなしの日本文化

京料理とは一番に何かというと、季節感というものを非常に大事にするといえるだろう。器づかいでも、器と料理で季節感をあらわすという使い方をする、そういうものがやはり京料理の一番の見どころで、見てきれい食べておいしいというのが大事なのである。

 

あとはもてなしの文化。料亭というのは、ある意味ひとつの日本文化の凝縮といえる。玄関に入って、お座敷に通るまでの廊下をいくところでも様々なしつらいがあって、露地を通っていくところでも、それぞれの季節感がある。そういうなかで、お座敷に入って床にはそのときの季節感のあるもの、あるいは法事とかおめでたというものに関しては、軸をかけかえたりということをする。うちでいちばん困るのが、黙って裏千家の人が来られたときに、表千家のお軸がかかっていて注意されるようなことが一番難しい。あやまっているけれども、そういうふうに最初から裏の方、表の方いうことであれば、それに関する軸をかけるなりする、それが一つの文化といえば文化だといえる。

 

日本人というのは、子供のときから春夏秋冬の四季の感性が自然と身に付いていたもので、今は大分変わってきているけれども、昔の人は本当に季節をよく感じて食材だけでも季節を感じ器でも季節を感じるという、食材と器との取り合わせというもので季節感を感じるのが日本の民族のいいところといえる。

 

陶器ひとつにしても夏向き冬向き、冬は土ものであたたかくして夏は冷たくして水にどっぷり濡らして汗をかかしてとか、磁器の涼しげな物やガラス器などを使うと本当に季節感があり、お節句や行事とか、お祭りごとなどを表現した器が非常にやりやすい。また涼しいときに青竹や籠もの、木地とか曲げ物を水にどっぷり浸して出す、あるいは紙でつくったもの、そういうものが器として様々な使い方ができる。そういう季節の感性を感じる中で、しつらいの空間やサービス、もてなしというものが茶道とはきってもきりはなせない関係にあるというところが料理屋である。

 

そのほかに箸の文化がある。最近、白木の利休箸というものを懐石で使うけれども、白木のものを使うときは水でどっぷりと濡らして、そして水をふくませてしっとりしたものを使うというのが茶道の世界の常識である。濡らして出して茶懐石などでいただくときには、まずごはんをいただくが、そのごはんが箸にくっつかないのである。普通のお料理でも、最初にお刺身を食べたときに醤油がしみこまない、箸のさきが黒くならないというようなこともある。これは茶道の世界で理にかなったことといえるでしょう。

 

最近、私が気に入らないことは、真ん中に帯封をしてカラカラに乾いた箸が出されることである。私はカラカラのもので食べるのがあまり好きじゃないので、人の見てないところで行儀が悪いけれどもさきを濡らして使っている。最近の人は帯封がしてあると新品、帯封がしてないと使い回しという意識があって、それでそういうことをするというのである。他所で催し事をするときには、コップに水を入れてお箸をさしておいて出す直前にさっとぬぐってお膳にのせて出す、そうすると召し上がる方はさきだけ濡れているということで召し上がっていただけるので私はそうしているけれども、賛成反対はあるだろうが、とにかく白木のものは濡らして使っている。

 

それから青竹のお箸がある。お茶事では中節、節止め、両細とかいろんな箸を濡らして使い、白竹の箸や両細の箸など流派によって使い方が違っている。お菓子では黒文字の箸、栗の箸、桜の箸など、いろんなお箸で取り箸にして使うというのはなかなか風情があって、その美意識というものが非常に日本人の感覚に合っている。京料理で季節の献立を考えるときというのは、五節句や二十四節気をはじめ大文字、祇園祭などの行事や祭りを考えながら食材と器と献立を組み立てていく。これは苦しいけれども楽しいと感じるものである。

0 件のコメント:

コメントを投稿