2017/07/25

幕張(1)

幕張新都心(美浜区)

幕張(まくはり)は、千葉県千葉市美浜区・花見川区に広がる広域地名。

 

地理

人工海浜「幕張の浜」(千葉市美浜区)

花見川区幕張地域は内陸側にあり、JR総武線・京成電鉄千葉線沿線である。美浜区幕張地域は海浜側にある埋立地で、JR京葉線沿線である。これらの地域の地誌は、おおよそ以下の通りである。

 

習志野市から千葉市西部にかけての東京湾沿い一帯は、下総台地が海岸沿いまで迫って海食崖を形成し、江戸時代には台地を刻む小河川の河谷ごとに村落が形成されていた。こうした形態の村落を西から挙げていくと、現在の習志野市の区域には谷津(やつ)村、久々田(くぐた)村(菊田川)、鷺沼(さぎぬま)村、千葉市に入って馬加(まくわり)村(浜田川)、検見川(けみがわ)村(花見川)、稲毛(いなげ)村、黒砂(くろすな)村である。この一帯の西側は船橋市中心街を形成する海老川河口低地帯の、東側は千葉市中心街を形成する都川河口低地帯の、それぞれ中規模の沖積平野によって区切られる。

 

花見川区幕張地域は、浜田川の河谷を中心とした馬加村が、上流の武石村、天戸村、長作村、実籾村と合併して成立した幕張村に由来する。この幕張村は浜田川河谷の低地で水田を、周辺の台地で畑作を営んでいたが、特に浜田川と東側の花見川の両河川の河口の間は砂丘が広がり、かつてはここが良質の人参産地となっており、「幕張人参」のブランドで知られた。今では浜田川西岸の台地上にも、東岸の砂丘上にも、畑はわずかしか残っていないが、土の色を見ると西岸の幕張本郷駅近くの畑は関東ローム層特有の赤褐色を、東岸の幕張駅近くの畑は白っぽい砂の色をしており、両者の畑の性格が異なることを知ることができる。

 

1960年代から1970年代にかけて東京湾沿いの埋め立てが進んだが、浜田川を中心に、西は千葉市と習志野市との境界から、東は花見川に至る範囲が、「幕張埋立地」と名付けられた。ここが現在の美浜区幕張地域である。

 

JR総武線の幕張本郷駅は、浜田川河谷の低地のすぐ西に迫る台地の上に、幕張駅は東側の砂丘の上に位置している。京成幕張駅の南側の砂丘の頂上には、青木昆陽を祭る昆陽神社があり、地元民からは芋神様(いもがみさま)と呼ばれて親しまれている。総武線と京成線の重なる「開かずの踏切」による交通難の解消のための駅前の再開発で一旦移転したが、後にもとの位置に戻った。

 

広義の幕張

元々は、下総国千葉郡の西側一帯を指して幕張(もしくは馬加)と言ったようである。千葉市の隣の習志野市が、この形になったのは1954年であるが、この時、八千代市や船橋市の「習志野」を名乗る周辺、および当時の幕張町で合併を検討していた。この時の合併計画は「幕張地域合併」という言葉で呼ばれた。このことからも元々、この一帯をさした使われ方をされていたことが良く分かる。なお、旧千葉郡の西部を指して津田沼、習志野と言う言葉を使うが、両者とも明治時代の社会変動期に起源をもつ地名である(詳しくは習志野市の項目、千葉郡を参照)。

 

幕張と地名

名前に「幕張」と付く町域として、花見川区に「幕張本郷」(- ほんごう)と「幕張町」(- ちょう)、美浜区に「幕張西」(- にし)がある。

 

花見川区幕張地域は、この2町域で面積の大半を占める。他方、美浜区幕張地域は「幕張」と付かない町域名が多く、「豊砂」(とよすな)、「美浜」、「中瀬」(なかせ)、のり養殖漁業に由来する「ひび野」、打瀬網漁に由来する「打瀬」(うたせ)など、地理的要因や埋め立て前の歴史に基づく命名も見られる。美浜区側でも、市街地の通称や施設名などは、「幕張」と付くものが多い。

 

「幕張市」が存在するという誤解

1980年代末期から1990年代にかけて幕張新都心を中心とした開発が急速に進み、それに伴い、各メディア媒体などで幕張地域の露出が急増したが、制作スタッフの認識不足などが原因で、テレビ番組で幕張地域を取り上げる際に「千葉県幕張市」と実在しない自治体名で誤って紹介されたり、国際的な会合でも出席者から幕張地域が千葉市の一部であることに反応することが度々発生している。当時の千葉市長である熊谷俊人は、幕張の認知度の高さ故のものであるとして、「今後も積極的な発信が必要だと感じました」とコメントしている。

 

特徴

花見川区幕張地域

[icon]   

この節の加筆が望まれています。

古くから「幕張」と呼ばれていた地域である。面積は花見川区幕張本郷と幕張町で計515ヘクタール、武石町(たけいしちょう)を加えると計624ヘクタール。

 

このうち習志野市寄りにある幕張本郷は、旧・幕張町一丁目と二丁目の各一部が分かれて、1982年(昭和57年)31日と1985年(昭和60年)11日に住居表示変更で設定された。

 

鉄道開通は早く、JR総武線の幕張駅は1894年(明治27年)12月に開業(津田沼 - 千葉間では最初の開業)[8]1921年(大正10年)7月には京成電鉄千葉線が開業し、両線はほぼ並行して北西(習志野市寄り) - 南東(花見川寄り)方向に走っている。

 

1981年(昭和56年)101日、JR(当時は国鉄)総武線の幕張駅の習志野市寄りに幕張本郷駅が開業した。1991年(平成3年)87日には、同じ敷地に京成幕張本郷駅が開業、同じく京成幕張駅の習志野市寄りに位置する。20141月現在、この4駅には普通列車(各駅停車)のみが停車する。

 

1992年(平成4年)41日に千葉市が政令指定都市になったことに伴い、この地域は花見川区の一部となった。

 

美浜区幕張地域

埋め立てにより、1980年(昭和55年)までに順次拡大しながらできた地域である。幕張西一丁目 - 四丁目が1979年(昭和54年)111日に幕張町一丁目から分かれて設定され、同五 - 六丁目、浜田、豊砂、美浜、中瀬、ひび野、若葉、打瀬が1980年(昭和55年)422日に設定された。

 

駅名とどちらが古いか不明(資料不足)だが、花見川区幕張地域と区別して「海浜幕張」と呼ばれることがある模様。

 

1986年(昭和61年)33日にJR(当時は国鉄)京葉線が部分開通し、海浜幕張駅が開業した。2008 7月現在、同駅には通勤快速を除く快速列車と普通列車と特急の一部列車が停車。同線はほぼ北西(東京駅寄り)-南東(蘇我駅寄り)方向に走っている。

 

199241日に千葉市が政令指定都市になったことに伴い、この地域は美浜区の一部となった。

0 件のコメント:

コメントを投稿