○登由宇氣神(とようけのかみ)。「由」の字は「用」を写し間違ったのではないだろうか。【この神の名は、古い書物には「豊宇氣(とようけ)」、「登由氣(とゆけ)」などとあるが、この「ゆ」は「よ・う」が縮まった音である。「登由宇氣(とゆうけ)」という表記は他に例がない。そこで取りあえず「由」を「よ」と読んでおく。師の説では、「登用宇氣」の「用」を縮めて「登由氣」と言うのこそ古言であるとして、ここの「宇」の字を衍字(誤って余分の字を入れること)だと言ったが、これは例の偏見である。古言は縮めて言うこともあれば、元のままに言うこともあって、この名も前文では「豊宇氣(とようけ)」と書いていた。これを「とゆけ」と読むことはできまい。だから他の書に「豊受」と書いているのも、「とゆけ」とも「とようけ」とも読むことができる。なお、後世これを「とよけ」と読む人もあるが、それは古言に例がない。】
この神は、前に豊宇氣毘賣(とようけびめ)の神として出ていた【この神のことは、伝五の六十葉で述べた。】神だろう。だがこの段では、五伴の緒の神々も思金神たち三柱も、いずれもその名を挙げて、さてこの二柱はと言った後は、どれもその神たちの注である。それなのに、この神のみは上文でその名を出していないのに、突然ここで登場するのは、なぜだろうか。【ある人は、「ここでは天照大神の御鎮座のことを書いているのだから、事のついでに、豊受大神の御鎮座のことも出してあるだけで、疑うほどのことではない」と言ったけれども、やはり納得できない。天照大御神の鎮座のことを書いているのは、その鏡のことを上文で述べたため、「その鏡は伊勢に鎮座する」と述べたのだ。もし事のついでに外宮のことも書いたのなら、「外宮の度相(わたらい)にいる神は登由氣の神である」といった書き方をするだろう。「登由宇氣の神、これは・・・」というのは、上文の神に対する註釈の書き方だから、上に出ていなければおかしい。】
上文で思金神、手力男の神、天の石門別の神、と列挙した部分で、初めはこの神の名も書いてあったのが、脱落したのかも知れない。【この大神が大変尊貴であることを考えると、その列挙の順序は、思金神よりも先に書いてあっただろう。ただ、「この二柱の神は」と書いて、まず思金神のことを書き、次いでこの神のことを書いているので、あるいは思金の次に挙げられていたのかとも思えるが、「二柱の神」は大御神と同じ五十鈴の宮にいるので、これを一緒にして先に言ったのだろう。】
いずれにせよ、ここに名が挙がっているからには、この大神も、この時共に天降ったのだ。だが思金神たち三柱と共に書いてあるから、この大神も、【現身が降ったのではない。】御霊代を降したのである。【この御霊の体も御鏡であることは、神宮の書に見える。】というのは、この豊宇氣の大神は、高天の原では、天照大御神に常に侍り、御食を奉る神であったため、大御神は自分の御霊の鏡に付け添えて、この大神の御霊も降したのである。【神遊びの採物(とりもの)の幣(みてぐら)の歌に、「美天久良波、和加仁波阿良須、阿女仁末須、止與遠加比女乃、美也乃美天久良(みてぐらは、わがにはあらず、あめにます、とよおかびめの、みやのみてぐら)」とあり、杖、篠、鉾などの歌にも同じく「止與遠加比女乃美也乃(とよおかびめのみやの)」と言っている。<訳者註:これらは岩波日本古典文学大系の「古代歌謡集」に収録>
「とよおかびめ」というのは、この豊宇氣毘賣(とようけびめ)を歌い誤ったもので、その宮は高天の原にある。天照大御神がこの神を祭っている宮だ。そもそも上記の採物の歌など、たまたま一首だけであれば、さして重要でもない神の名が出てくることもあるだろうが、こう幣・杖・篠・鉾と、いろいろの歌に、いずれも全く同じように、この神の宮のことばかり歌うのは、それが天照大御神の執り行う神事だからだ。こうした古い伝えからしても、この神の尊貴なことは知れるであろう。それを「この神は御食(みけ)を司る膳部(かしわで)の神で、皇孫命が天降ったときの供奉の臣の一人である」といった説は、現身と御霊代の違いも分からず、事のありさまもよく考えないで、ただ外宮をおとしめようとする妄説だ。あるいは豊宇氣毘賣の神の生い立ちが、あまり尊貴でないように見えるため、天照大御神が彼女を祭っていると言うことを、疑わしく思う人もあるだろうか。それは後世の凡俗の考えである。天照大御神自身も、伊邪那岐の大神が黄泉の穢れを浄めようとして、目を洗ったときに生まれた神であることを考えるべきだ。およそ誕生のいきさつだけで、その神の尊卑を論じることはできない。
なおこの神を、伊勢外宮の書物で国常立尊だなどと主張しているが、これには何の根拠もなく、非常なこじつけであって、今さら論じる価値もない。また「水徳の神」などと言って、種々口うるさく説く人もあるが、みな漢意によるものである。すべて水徳・火徳などと言うのは、漢人の妄言にすぎない。忍穂井(外宮の御井神社)のことなどもあるが、それは本来御饌(みけ)について言うので、水に関わることではない。<訳者註:豊受大神を国常立尊だとしたのは、「先代旧事本紀大成経」や「白河本旧事紀」などに見える。豊受大神を天照大神より上位の神だと主張するいわゆる伊勢神道に基づいており、疑わしい記述が多い>】
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