釈日本紀に、「大倭本紀によると、天皇が初めて天降ったとき、護齋(いわい)の鏡三面、子鈴一合を添えたという。その注にいわく、一つの鏡は天照大神の御霊で、『天懸神(あめかかすのかみ)』という。一つは天照大神の前御霊(さきみたま)で、『國懸神(くにかかすのかみ)』という。これは今紀伊国の名草の宮で齋き祭る神である。最後の一鏡と子鈴は、天皇の御食津神で、朝夕の御食および夜の護り、日の護りと齋き奉る大神であり、今巻向(まきむく)の穴師の社で祭っている大神である」とあり、この御食津神は、この記と照らし合わせると、豊宇氣の神の御霊体と思えるが、穴師の社というのはいぶかしい。
そこで考えたのだが、これは鏡と子鈴と二つであるから、穴師にいるものなら、その社二座と言うべきところが一座となっているので、その社は子鈴の方で、鏡は伊勢の外宮にいるのが、何かの理由で漏れて、どちらも穴師にいるように誤って伝えたのではないか。ところで、上記の夢の教えを誤解して、豊宇氣の神を膳夫(かしわで)の神だと考えるのは誤りである。あの教えは、高天の原にいたとき、身辺近くにいて親しく祭っていた神が、地上では遠い他国にいるようになったために、言ったことだ。膳夫の神であるなら、どうして等由氣の大神というだろうか。「大神」という名に注意せよ。外宮に鎮座して、天照大御神の朝夕の御饌を奉り仕えるのも、膳夫の神だからではない。大御神が祭る御饌神だから、それを齋(いわ)い祀って、身辺で調えるのだ。いにしえから、朝廷の祭礼、齋王の参詣など、いずれもこの宮を先にすることは、大御神の教えによっていることが、外宮の書に見える。これはそうあるべきことである。すべてどの定めも、外宮は大神宮より後れているのだが、この定めだけが先になっているのは、そういういわれがあるからだろう。それをこの祭礼の先後は、それぞれの鎮座の日を取っているからだなどと言うのは、こじつけである。書紀などの干支から、上代のことを推測するのは誤りであることは、既に述べた通りである。
ある人は「それなら、豊宇氣の大神は、天照大御神より尊いのか」と質問したが、天にも地にも、天照大御神より尊い神はない。だが豊宇氣の大神を祭る神がいることは、代々の天皇が天神地祇を祭るのと同じである。だからといって、天皇の祭る神は、みな天皇自身より尊いだろうか。これにならって、天照大御神と豊宇氣大神の間のことも考えるべきである。だからいにしえには、宮造りをはじめ、朝廷からの祭式なども、大神宮(内宮)とは差別があったことは、古い書物で明らかだ。ところが後世になって、次第に何事も内宮と同等になり、ついには相並ぶ神のように考えられて、その尊卑についてもああだこうだと論じているのは、とても畏れ多いことだ。】
○外宮(とつみや)は、師の祝詞考に、万葉集の「登都美夜(とつみや)」の例を引いて、「それは普通の大宮の他に、別に建てて置いて行幸する宮を言うのだから、つまりは天皇の宮であり、他に主があるわけではない。とすると、伊勢の外宮も五十鈴の宮の外宮であって、要するに天照大御神の宮である」と言ったのは、古来言われたことがなかった考えで、全く正しい。とすると、昔からあった天照大御神の外宮に、豊宇氣大神を招いて鎮座させたのだ。
万葉巻六【十二丁】の紀伊国に行幸したときの歌(917)に「和期大王之、常宮等、仕奉流左日鹿野由(わごおおきみの、とつみやと、つかえまつるさいかぬゆ)」、巻十三【四丁】(3231)に「月日、攝友、久経流、三諸之山、礪津宮地、或本歌曰、故王都、跡津宮地(つきひは、かわるとも、ひさにふる、みもろのやまの、とつみやどころ、あるほんのうたにいわく、ふるきみやこの、とつみやどころ)」【これらを「常の宮」とするのは間違いである。「常」は借字で、みな外宮である。】
巻二十【十二丁】(4301の頭書き)に「東常宮(ひんがしのとつみや)」とあり、【これを続日本紀では「東院」とあるので、外宮の意味なのは明らかである。】これらはその天皇の外宮だ。「外」とは本来「内」に対する語だが、内宮・外宮と対照的な語として言うようになったのは後世のことで、いにしえに五十鈴の宮を内宮と呼ぶことはなかった。【およそ古い書物に「内宮」と言った例はない。延喜式神名帳などでも、二つの宮を並べて書いたときに、五十鈴の宮は「大神宮」としか書いていない。天皇の行幸でも、外宮を外宮と呼ぶことはあっても、通常の宮を内宮などと呼ぶことはないので、これも当然そうあるべきだ。三代実録の五印本に内宮という言葉が見えるが、古い本には「同宮」とある。文意からして、「同宮」であることは疑いなく、「内」の字は誤写である。
ところがまた、豊受大神の宮を外宮と呼ぶことも、古い書物では、ここ以外には見えない。延喜式でも「度會の宮」、「豊受の宮」としか書いてない。それは、本来大神宮の外宮だったが、豊宇氣の大神が鎮座して以降は、その神の宮となったためだろう。
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