「万物は変化する。永遠不変の存在などない」
と述べたヘラクレイトスと、同時代。B.C.500年頃。哲学史は、もうひとりの天才を生み出す。
パルメニデスである。
彼が打ち立てた哲学は
「万物は変化しない。永遠不変の存在である」
というものだった。ヘラクレイトスの哲学と、完全に正反対である。
しかも、パルメニデスは高貴で気高い性格で周り人々から尊敬されており、優雅に暮らしていたことから「パルメニデスのような生活」というのが流行語になったほどである。
「闇の人」と呼ばれたヘラクレイトスとは、まったく正反対。もちろん、そんな正反対の二人の哲学が、うまくいくわけはない。ヘラクレイトスの
「万物は変化するんだよ。確かなものなんか、ねぇんだよ~、けっ!」
という哲学など、パルメニデスに言わせれば
「そんなのキミの個人的な感性にすぎず、自分の感覚に従って好き勝手なことを言っているだけにすぎない」のである。
そもそも、それまでの哲学者たちは、自分の感性にしたがって
「万物の根源って、水なんだよ・・・きっと」
とか
「いや、空気が固まってできたんだよ・・・たぶん」
とか、好き勝手なことを述べてきた。
こういう「感覚、感性」に従った先人の哲学について、パルメニデスは、はっきりと「そんなものは信用ならん」と宣言する。「おまえらのいいかげんな感覚論は、もう聞き飽きた!」ということだ。
では何を信用して、自然を探求していけばいいのか?
優等生のパルメニデスは述べる。
「人間は感覚に頼るべきではなく、理性によって論理的に考えるべきだ」
たとえば、ここにリンゴがある。このリンゴを
半分に割ってみよう。そして、その片割れを、さらに半分に割ってみよう。この「半分に割る」をドンドン繰り返していけば、いつしかリンゴの片割れは小さくなっていき、ついには目に見えなくなってしまう。
さぁ、ここで、感覚に従えば「リンゴが消えてなくなった」ように見える。しかし!理性に従えば
「いいや!小さくなっただけで、消えたわけではない!
どんなに分割しても、小さくなるだけで無くなることはない!」
という判断をするだろう。
パルメニデスは、この判断が重要だと考えた。
「この判断は理性的であり論理的であり、いつの時代でも、どの国の人でも成り立つ!」
と考えたのだ。感覚に頼れば
「人それぞれの感性によって、色々な話が成り立つ。そんなものは、アヤシイものだ」
だが、理性に頼るならば
「ひとつのものを、どんなに分割しても小さくなるだけで、消えることない」
という共通の結論が出てくる。
「有は(どんなに壊しても)無にはならない」
という絶対的な法則が見つかる。
このようにパルメニデスは、理性的論理的な思考を続け
「あるものは永遠にあり、ないものは永遠にない」
「無からは何も生まれない」
「AはAであり、A以外のものにはならない」
などの、ごく真っ当な論理的哲学を打ち立てた。だから、ヘラクレイトスの「万物が変化する」という意見は感覚に頼れば正しいが、理性的に考えれば「無からモノが生じたり、リンゴがメロンに変化する」と同じくらいナンセンスなものだとなる。
「真の存在は、消えることも変化することなく永遠にあり続ける」
パルメニデスは、哲学史において初めて「論理的に考える」ということを哲学に持ち込んだ人物なのである。
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