2017/12/14

アナクサゴラスの宇宙論



宇宙論
万物は、この世の始まりから存在していた。初め万物は無限小の破片に数限りなく分かれており、それらが分かちがたく結合していた。万物は、この塊の中にあったが、互いにぼんやりとした判然としない状態であった。その原始の混合物の中に、麦、肉、金などの種(スペルマタ)、あるいは縮図のようなものが存在していた。これらの部分部分が、その性質や特定の名前を与えられるためには、この複合体から分離される必要があった。

理性は、異なった物から同質の物を選び出した(panta chremata en omou eita nous elthon auta diekosmese)。「ヌース(nous、知性、理性、精神などの意味)」と呼ばれるこの奇妙な存在は、混沌の塊と同様に数限りなく存在する。ヘラクレイトスの言う「ロゴス(言語、論理などの意味)」とは異なり、ヌースは同質で独立した(mounos ef eoutou)存在であり、微細な物体で、自身の表現する物その物であり、どの部分もすべて等しい。すべての知識と力を有している、このとらえ所のない存在は、特に生命の全てを支配している点に見られる。

ヌースが原因となって、原始の混合体は回転を初めた。回転は、ある一点から始まり遠心分離のような作用により、徐々に広がった。やがて認識可能な実体を形取るようになり、現在のような宇宙となった。だが、この出来事が完全に行われた後にも、原始の混合体は完全に圧倒されたわけではなかった。この世の何一つ、他の物からぶっつりと分かれてしまうようなことはない。アナクサゴラスが「理性(ヌース)」と「」を区別しそこなったとするアリストテレスの批判は、注目に値する。一方ソクラテスは、アナクサゴラスのヌースとは、ソクラテスが意図と知識の原因とみなしたデウス・エクス・マキナのことに過ぎないと考えた(プラトン著『パイドン』)。

アナクサゴラスは、いかにして原始の混沌から現在のように整理された世界が生まれたのかという過程を順を追って説明した。まず冷たい霧と温かいエーテルとの分離が混沌を破った。冷たさが増すにつれ、霧はやがて雨となり、土となり、石となった。それまで中に浮かんでいた生命の種は、その雨によって下降して草木を育んだ。人間を含む動物は、暖かく湿った泥から生まれた。以上のようなことが正しいとすれば、我々は感覚のもたらす証拠というものを疑って掛からねばならない。感覚に頼れば、物事が生まれては消えていくように見える。だが思慮深く考えれば、死や成長というものは新たな集合(synkrisis)と分裂(diakrisis)に過ぎない。そのため、彼は感覚というものを疑い、思慮分別による結論に重きをおいた(彼は、雪の中には白と同様に黒も存在していると主張している。)

アナクサゴラスは、哲学史の分岐点となった。これは彼と共に「思索」というものが、ギリシアの植民地からアテナイに移り渡ったためである。物質が微小の構成要素から成るという思想、また秩序の成立に対する機械論的な過程に対する強調により、彼は原子論への道を開いた。
Wikipedia引用

紀元前500年頃の誕生と推定されますので、パルメニデスとは40くらいの差です。彼は東方イオニア学派に属します。クラゾメナイの出身でした。彼の場合は、四つとか五つとか「」の限定はありません。むしろ「無限な小さな種」が宇宙を作り出しているもとのものであって、これの「量の差」が事物の違いを生み出している、ということになります。彼の学説の中でユニークなのは、こうした事物の生成の背後にあって、これを統御している「ヌース(「知性・理性」とか訳されますが、日本語の語感とは必ずしも上手く合いません)」を言ったことで有名です。これはソクラテスに大きな期待を持たせたのですが、失望させてしまいました。彼の説明は、せっかく「知性・理性」などというものを言ったのに、機械的な説明に終わっていたからです。一方、「」の方は、次のデモクリトスの先駆という意味で注意されるものでした。
出典 http://www.ozawa-katsuhiko.com/index.html

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