10 倹約遺伝子を持たないものは長生きする?
日本人には「倹約遺伝形質」を獲得している人が多いようである。日本人とアメリカ白人について、糖負荷試験を行って空腹時血糖値とインスリン分泌量の間の関係を調べた研究によると、インスリン応答の最大値は日本人の方がアメリカ白人のほぼ半分と低い。また、インスリン応答が最大に達する空腹時血糖値も日本人は~100 mg/100 mlで、これもアメリカ白人よりも15%ほど低い。つまり、日本人には膵のβ細胞の機能が倹約型になっている人が多いということになる。
倹約型の遺伝形質の本体として、βアドレナリン受容体、脱共役タンパク質、アディポネクチン、PPARγ(ペルオキシソーム増殖因子応答性受容体)が主な候補として考えられている。これらの倹約型の遺伝子を持っていると、食糧が不足しがちな原始社会でも生き延びることができたが、食糧が十分供給される現代社会では、倹約遺伝子を持っていることが仇となって、肥満・過血糖・糖尿病になって、生き長らえることが次第に難しくなっている、と考えられる。私達は神から授け賜った倹約形質のせいで、生命を縮めているのかも知れない。
III
栄養学の進展
1
ニュートリゲノミクスによる栄養アドバイス
2000年6月26日、米国大統領ビル・クリントンと英国首相トニー・ブレアが、1990年から始まった世界規模のヒトゲノムプロジェクト-国際共同チームとセレーラ社による「ヒトDNA の塩基配列の解読」計画によるゲノム・ドラフト-が、予定より大幅に短縮されて完了したことを宣言した。
この成果を基にして、まず米国で、ニュートリゲノミクス(食品および食品成分が遺伝子発現に及ぼす影響に関する研究;タンパク質・代謝産物を解析して、食品成分が身体に与える影響を明らかにする)による個人向けの遺伝子検査と栄養アドバイス提供サービスが始まった。日本でも、それぞれの個人の体質にあったオーダーメイド医療・オーダーメイド栄養アドバイスが始まっている。
肥満に関わる遺伝子:β3アドレナリン受容体、脱共役タンパク質1、β2アドレナリン受容体、レプチン受容体の異常を検査する業務が、商業ベースで行われている。例えば、β3アドレナリン受容体(アドレナリンと反応して脂肪を分解する)は64番目のアミノ酸がトリプトファンからアルギニンに入れ替わると倹約型(日本人の約35%)になり、アドレナリンと反応せず、脂肪を分解しなくなるので、肥満(おなか周りが太い、リンゴ型)になりやすい。
なお、遺伝子検査の結果は、個人情報保護法などの適用対象として保護されるべきものである。その取り扱いに当たっては慎重を期すべきであり、早急に法制化をする必要がある。医学領域における遺伝子検査[感染症、遺伝病、造血器腫瘍(白血病など)、固形腫瘍(肺がん、乳がんなど)、遺伝子多型解析、など]の結果は、その取り扱い指針やガイドライン、個人情報保護法などの適用対象として保護されるべきものとされている。例えば、「がんになる可能性」を推測できる個人情報が、本人以外に漏れてはならないのは当然であるが、ニュートリゲノミクスによる遺伝子検査の結果もまた、当然、保護されるべき個人情報であることを、関係者は認識すべきである。
参考文献:
大石正道「入門ビジュアルサイエンス
ヒトゲノムのしくみ」、日本実業出版社、2001.
香川靖雄、四童子好廣
編「ゲノムビタミン学-遺伝子対応栄養教育の基礎」、建帛社、2008.
合田敏尚、岡崎光子
編「テーラーメード個人対応栄養学」、建帛社、2009.
2
おいしく、ゆっくり食べる(≡ガツガツと食べない)栄養効果
「早飯、早寝、早糞、芸のうち(あるいは、健康のもと)」という俚諺があるが、これとは反対に「早飯は、食べ過ぎになる結果、肥満、不健康につながる」、ということも、巷間、よく聞かれる。平均的な日本人(10代~50代以上)が朝食にかける時間は、ある調査によると(http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0904/17/news077.html)、平日は11.3分、休日では14.0分だったという。平日でも、せめて休日並みに、できれば20~30分以上の時間をかけて、楽しみながら、朝食をとるのが望ましい。このことを強く支持する幾つかの研究成果があるからだ。
ロイターヘルス (通信社)が、学術雑誌Journal
of Clinical Endocrinology & Metabolismの2010年1月号に掲載予定であった論文を紹介している記事“To eat less, your
body may want you to eat slowly(食事量を減らしたいなら、ゆっくり食べる必要があるだろう)”によると(http://www.nlm.nih.gov/medlineplus/news/fullstory_91653.html)、「ゆっくり食べなさい」という母親の指示は、正しいのだという。食事を急いで掻き込むと、食欲の自然な調節機構がブロックされるので、「食べ過ぎて、太ってしまう」ことが、いくつかの研究ですでに明らかにされている。しかし、食欲をコントロールするには「ゆっくり食事するのが、良いのか、悪いのか」、ということについては明らかではなかった。
この問題を明らかにするために、ギリシャのアテネ医科大学と英国のインペリアル・カレッジ・ロンドンのA.コッキノス医師らは、健康な男性17名を、2つの異なる条件下で、大量のアイスクリームを食べさせて調べた:大量のアイスクリームを、1群には2回に分けて5分間で食べてもらい、別の群には小分けにして30分間かけて、ゆっくり、食べてもらった。どちらのグループも満腹感や空腹感の感じ方に差は無かったが、ゆっくり食べた男性には、2種類のホルモン、ペプチドYY (PPY) とグルカゴン様ペプチド-1 (GLP-1) の血中レベルが、アイスクリームを食べ終わったほぼ3時間後にピークに達していた。PYYもGLP-1も消化管から分泌されるホルモンで、「満腹」シグナルを脳に伝え、食欲を減じてカロリー摂取をひかえさせる働きがある。
この研究で得られた知見は、「食事をゆっくり楽しむ」という昔からの食べ方の知恵を支持するものである。「食事をよく咀嚼して、食事を楽しむ時間を十分取れば、同じ食事でも早食い競争のようにして食べた場合よりも、摂取カロリーの利用率は少なくなる」ことを明らかにした研究報告は今までにもあったが(後述)、その理由は明らかにされていなかった。この研究から、「過食を止めるシグナルを脳に伝える消化管ホルモンの分泌量が、食物の摂取速度によって影響を受けている」ことが分かった。このことから、「食事をする速度と過食の関係を説明することができる」、とコッキノス医師は説明した。
この知見は、特に、ファーストフードなどを利用して、短時間内に食事を済まさねばならない人達にとって、重要な示唆を与えるものと思われる。「食事に時間をかけて、ゆっくり食べることによって、食欲をコントロールすることができ、最終的には体重コントロールにも役立てることができる」、というこの研究の結論は、子供達に「食事をガツガツ食べると太ってしまうよ」と、注意する母親にとっても、有力な拠り所になるものと考えられる。
「ゆっくり、味わって食べたい」と思うのは、もちろん日本人も同じである。先の図6に示した、NHK放送文化研究所が2006年に16歳以上の男女に対して行った「食生活に関する世論調査」でも、食事で重視することを5項目のうちから1つだけ選択させると、「おいしいものを食べること」38%、「栄養がとれること」21%、「楽しく食べること」20%、「空腹が満たされること」18%で、「簡単に済ませること」は僅かに3%であった(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/0322.html)。
この調査結果は、「おいしいものを、手早く簡単に済ませないで、『ゆっくり、楽しく、味わって食べる』と、トータルとしての摂食量も少なくて済む」ことを意味しているからである。大相撲の力士は、体重維持・増加の目的で、早飯(摂食量も多くなる)が強制されていると聞く。
英国のインデペンデント誌のウエブ版、2006年12月3日号に、“Women who eat slowly stay slim(ゆっくり食べるご婦人はスリムである)”を見出しにして、米国ロード・アイランド大学の研究者が1970年代から取り組んできた研究の成果を紹介している。ゆっくり食べる(一口食べるごとに、ナイフ・フォークを下ろしてひと休みする)と、1食当たり70 kcal、1日で210 kcal、食べる量が少なくなった、というのである。
日本の箸は、調理済みの食品からなる食事を「少しずつ、ゆっくり、味わって食べる」のに適した、又、食品衛生の観点からも(割り箸は日本独特のもの)好都合な道具である(食事を掻き込むには、食器を持ち上げない限り、スプーンにくらべて不便)。崩れやすい米飯食塊を、テキスチュア(歯応え)にほとんど影響させることなく取り上げ、茶碗から口腔まで搬送、摂食するのに適している。
他方、スプーンやフォークは、食べる前の食塊の整形・細分化や、混和、調味にも利用されるが、液状や固形の食塊を、一匙分、一口分、あるいはひとかたまりの食塊として、口腔までの短距離を移動するのに好都合である。スプーンは、液状・不定形の食品ばかりでなく、米飯のような小粒の集塊、幼児食を「掻き込む」のにも重宝されている。なお、箸、スプーン、ナイフ・フォークの扱い方によって、食べ物の食味や消化の程度に心理的影響が及ぶことがあるとしても、食べ物自体の生理的効果・栄養効果が有意に影響されるとは考え難い。それよりも、食べ物やその食べ方に対する好悪の判断・感情が摂食速度(ゆっくりvs 速く)や消化速度におよぼす影響の方がはるかに大きいだろう。
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