2017/12/01

三大考(3)


これ以降の図は、天に生まれた神々も地に生まれた神々も、その図に関連するものだけを挙げ、他は省いた。

○外国のある場所やその大小、また数は、この図では大まかな様子を描いたに過ぎない。ただし皇国のある場所は、この図のような様子になっている。その理由は次に言う。

○この図は二柱の神が国を生み、また外国なども生まれて国土と海が分かれた後の様子である。

 

記には

「天神たちは伊邪那岐・伊邪那美の二神に、この漂っている国を作り固めよと命じた。・・・この八嶋をまず生んだので、大八嶋国と呼ぶ。云々」

 

書紀によると

「ところどころの島々は、潮の沫(あわ)が凝り固まってできた。」

という。

 

二柱の神がこの大八洲国を生んだことは、世人が漢意で見るために、信じられないというので種々生賢しい説が唱えられるのだが、それは自分勝手な理屈ばかりで言うに足りない。ただ、古伝のままを信じるべきである。人が子を生むように、神が腹から産んだものだ。その詳しいありさまがどうだったか伝えられていないので分からないが、考えてみると、まず高天の原から下って天の浮橋に立ち、沼矛(ぬぼこ)で前記の浮き脂のように漂っていたものをかき回し、鉾を引き上げる時に、その先端からしたたり落ちた滴が凝り固まってオノゴロ島になった。その滴は微少なものだが、それが生じたことで、その周りに漂っていた物質が集まり、一緒に凝り固まって広く大きな島になったのだから、大八洲を生んだのも、そのように二柱の交合の滴が女神の腹に宿って凝り固まり、生み出したばかりの頃はやはり微少なものであって、そこに漂っていた物質が集まって、大きな国土になったのである。

 

卑近な例では、人の生まれる様子を考えてみると良い。父母の性交の時に出る滴は小さいものだが、月日と共に大きくなって、人の子の形になるではないか。また人も鳥獣・魚虫なども、生まれたばかりの時には小さいけれども、次第に成長して大きくなる。中でも蛇などは、生まれたばかりの時は普通の虫と変わらないが、長い年を経て大蛇になると、ことのほか大きい。草木も同じことで、生えたばかりの双葉の頃は至って小さいが、長年の間には雲を衝くばかりの巨木になる。

 

神代の年月は極めて長いのだから、この国土も生まれてから現在の形に出来上がるまでは、何万年も経過しているだろう。その間には、どのようにでも大きくなるはずである。国土の生まれた最初は、産霊の神の特別な神霊によって生まれたわけだから、女神の腹から産み出されたことを疑う余地はない。このことを疑うのは正しい倭魂(やまとだましい)ではない。生賢しい漢意の考えである。こうして国を生んで国土と海水が分かれることで、次第に大地は固まってきた。

 

○諸外国の初めは、二柱の神が大八洲を生み、国土と海水が分かれるに従って、あちこちで潮の沫(あわ)が凝り固まり、上記のように大きくも小さくもなった。これもまた産巣日神の産霊によって生まれたのだが、外国はこの二神の生んだ地ではない。ここが皇国と諸外国の尊卑、美醜の分かれるところである。この後、諸外国はみな少名毘古那神が造営した。上記のことは、すべて古事記伝に出ている。参照して、その理由を知るべきである。

 

○皇国のありかは、図のように大地の頂上である。というのは、初め葦の芽のように萌え上がったものの根の部分だからで、天地が分かれた後も、なおしばらくは天の浮橋というところを通じて天地を往来できた国であり、今も完全には断絶せず、天とまっすぐに向かい合っている臍のところこそ皇国だからである。

 

そもそも大地は虚空に浮かんでいた球体であるから、どちらが上、どちらが下、あるいは横と言えるものではない。こちらから下と見える場所では、また自分が上で、こちらは下と思うものである。だが横の方でも、どの場所も同じことであると考えるのは表面的な理解であって、天地が離れた後の現在の状態だけを考え、元の状態を知らないからである。大地には上下もあり、前後もあるという師の説もある。第十図のところで言う通りである。

 


 

記に

「既に国を生み終えて、さらに神々を生んだ。・・・伊邪那美神は、火の神を生んだことにより、遂に死んだ。・・・伊邪那岐命はその愛妻伊邪那美命にもう一度会いたいと思って、黄泉の国まで追って行った。・・・そこでその伊邪那美命を黄泉津大神(よもつおおかみ)と言う。・・・その所謂黄泉比良坂(よもつひらさか)は、今出雲の国の伊賦夜坂(いうやざか)であると言う。」

とある。

 

これ以降、黄泉の国にいる神は伊邪那美命である。だがこの段の伊邪那美神の言葉に「黄泉神(よもつかみ)と相談しよう」とあるから、その時既に別の神もいた。そこで第四図には、この神も挙げておいた。しかし、その名も伝わらないし、何柱だったかということも記載がないので、特に重要な神ではなかったのだろう。

 

○黄泉比良坂は、この世と黄泉の国との境界である。それは、この世から大地に入る際(きわ)なのか、大地の中にあるのか、大地と黄泉の国との間にあるのか詳しくは伝わっていない。記によると出雲の伊賦夜坂が、その場所のようである。しかし、それは単に「黄泉比良坂に通じるところは伊賦夜坂だ」という意味で語り伝えたのだろう。

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