体液病理説と分利
体液病理説とは「人間の身体を構成する体液の調和が崩れることで病気になる」とする説で、18世紀に病理解剖学が生まれるまでは臨床医学の主流の考え方であり、その後も病態生理学の土台となった考えであった。ヒポクラテス医学においては『人間の自然性において』で示されるように、人間は血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の四体液をもち、それらが調和していると健康であるが、どれかが過大・過小また遊離し孤立した場合、その身体部位が病苦を病むとした。
このほか、ヒポクラテス医学における重要な概念のひとつが分利(crisis)である。分利とは、病気の進行における段階のひとつであり、この段階においては患者が病に屈して死を迎えるか、あるいは反対に自然治癒によって患者が回復するかのいずれかが起こる。また、病気が分利を経て一旦回復した後に再発した場合は、もう一度分利を迎えることとなる。分利は罹患して一定期間後にみられる「危篤日」に起こる傾向があることが分かるが、分利が「危篤日」から大きくずれて見られた場合は病気の悪化が懸念される。ガレノスはこれをヒポクラテスの考えであるとしたが、実際にはヒポクラテス以前から存在した可能性が指摘されている。
ヒポクラテスの施す医術は、人間に備わる「自然治癒力(ラテン語: vis
medicatrix naturae)」、つまり四体液のバランスをとり治癒する自然("physis"ピュシス、「自然」の意)の力を引き出すことに焦点をあてたものであり、そのためには「休息、安静が最も重要である」と述べた。さらに、患者の環境を整えて清潔な状態を保ち、適切な食餌をとらせることを重視した。例えば、創傷の治療には、きれいな水とワインだけを用いた。その他鎮痛効果のある香油もときに塗布薬として用いられた。
「一般」病理学に基づき「一般」治療を施すとの考え方から、ときには効き目の強い薬を使うこともあったというが、基本的には患者に薬を投与したり、特定の治療法をとることはしないようにしていた。こうした受動的、消極的な治療法は、比較的単純な疾患、例えば骨折の中でも骨格組織を牽引して損傷部位の圧迫を軽減する必要のある場合などには大変効果的であった。《ヒポクラテスのベンチ》や他の器具は、このような目的の為発明され使用された。
ヒポクラテス医学の強みのひとつに《予後》を重視したことがあげられる。ヒポクラテスの時代には、薬物による治療は未発達であり、医師のできることといえば病気の程度を診断し、他の症例を参考にして病気の進行を予測することぐらいであった。
職業意識
ヒポクラテス学派は、厳格な職業意識、規律、厳しい訓練で有名であった。『医師について』という文書では、医者というのは身なりを整え、正直で、冷静で、理解に富み、真面目であることを推奨している。ヒポクラテス派の医者は、訓練中でもあらゆる事柄に十分注意を払う。手術室の「照明、人員、器具、患者の位置、包帯の巻き方」などにも事細かな仕様があった。指の爪をきれいに切りそろえることも求められたのである。
ヒポクラテス学派は、患者の観察と記録の作成を臨床の原則として重視した。これは医師各々が臨床にあたって発見した症状と治療法を客観的な方法で明確に記録することで、他の医師がその記録を参照しその治療方法を採用することなどができるようになるからである。ヒポクラテスは、顔色、脈拍、熱、痛み、動作、排泄など多くの症状に注意を払い、規則正しい記録をつけた。また病歴を聞くとき、患者が嘘をついていないかどうかを知る為に患者の脈を図ったことがあると言われており、こうした観察の対象は、患者の家族の病歴や家屋の環境にまで広げていた。
「ヒポクラテスにとっての医術は、臨床検査と観察の技術に負うところが大きかった」という見方もあり、ヒポクラテスは「臨床医学の父」と呼ばれるのがよりふさわしいかもしれない。
医学への直接的貢献
ヒポクラテスとヒポクラテス派の医師たちは、多くの病気とその症状について、医学史初となる記述を残した。中でも慢性化膿性肺疾患、肺がんやチアノーゼ性心疾患(先天性心疾患のうち、チアノーゼ性のもの)を診断する上で重要な兆候となる、指がばち状となる症状を最初に記述したとされ、このことから、ばち指のことを「ヒポクラテス指(またはヒポクラテス爪)」ともいう。また『予後論』において、初めてヒポクラテス顔貌(死相のこと)について記述したことも知られているが、この表現は、シェイクスピアの史劇『ヘンリー五世』第2幕第3場のフォルスタッフの死の場面で使われたことでも有名である。
ヒポクラテスは病気を急性・慢性・風土病・伝染病の四つに分類し「悪化・再発・消散・分利・発作・峠・回復」といった用語を用いた。その他の主な業績としては、胸腔内に膿がたまった状態である膿胸の症状の例や、身体所見、外科治療法と予後についての記述があげられ、ヒポクラテスの教えは現代呼吸器学や外科を学ぶ者にとっても今日的な意味を持っている。ヒポクラテスは文書に記録の残る中では最初の胸部外科医であり、ヒポクラテスによる発見の数々は現在でも有効である。
ヒポクラテス学派は、(その理論の質は高くないものの)直腸の疾患と治療法についても詳しい記述を残している。例えば、痔は胆汁の粘液が多いために起こるものと考えられたが、ヒポクラテス派の医師の施した治療法は比較的先進的なものであった。『ヒポクラテス全集』には、望ましい治療法として痔核を結紮(けっさつ:糸などで結ぶこと)し、熱した鉄で患部を焼灼(しょうしゃく)すると記述した文書があり、焼灼器と切除についても記載がある。また、様々な軟膏をつけるといった方法も提案されている。今日でも、痔の治療においては患部を焼灼し、結紮し、切除する過程がみられる。さらに『ヒポクラテス全集』には、反射鏡を直腸内の観察に利用することについて述べた一節がある。現代の内視鏡も反射鏡の原理を発展させたものであり、この記述は内視鏡に言及した最古の記録ともいえる。
※出典 Wikipedia
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