2018/03/01

日本人の死生観を探究するための三つの扉(古神道11)



出典 http://www.nippon.com/ja/in-depth/a02903/

「信じる宗教」と「感じる宗教」
第二の扉が、一神教との対比における日本人の死生観という問題である。

私は1995年の秋に、初めてイスラエルを訪れた。そしてイエス・キリストの足跡を追うような形で旅をしたが、行けども行けども砂漠、砂漠の連続で、次第に気分が落ち着かなくなった。地上に頼るべきものが何一つ存在しない、そんな実感が胸に迫ってきた。「聖書」をただ読んでいるときの印象とはまるで違う。

ヨルダン川沿いに聖都エルサレムに向かっているときだった。天上のはるか彼方に唯一の価値あるものを求めざるを得なかった砂漠の民の思いが、突然、脳裏にひらめいた。地上の砂漠から隔絶した彼方に、唯一の神の存在を信ずるほかなかった砂漠の民の悲願である。それを信ずることなしには一日たりとも生きてはいけない、そういう切実な認識である。一神教という「信じる宗教」がこうして誕生したのだ、と思わないわけにはいかなかったのである。

イスラエルの旅を終え、飛行機が日本列島に近づいたとき、私は目を洗われるような気分になった。眼下に緑なす森林が続き、大海に流れ入る河川と鬱蒼たる樹木に覆われた光景が、どこまでも展開していたからだ。思わず、山の幸、海の幸の数々が眼前に浮かぶ。清冽な川の流れの音が聞こえ、四季折々の草花がにおい立つ。古代の万葉歌人たちの感覚が蘇り、かつての山中生活者たちの胸の鼓動までが聞こえてくる。この地上こそ、生きとし生ける者たちの安らぎの場所、何も天上の彼方に唯一の価値あるものを追い求める必要はない。森林や山野に神々の気配が満ち、仏たちの声がこだましている。多神教という名の「感じる宗教」が、こうしてこの日本列島に育まれるようになったのではないか。

「個」vs「ひとり」・「無常」
信じる宗教と感じる宗教の対照性、といっていいだろう。その信じる宗教についてであるが、そもそもこの信じるという生き方を表す上で「」という言葉ほど、ふさわしいものはないであろう。自立した個人がそれぞれに、天上の彼方に絶対的な価値が存在することを信じている姿がたちのぼってくる。個人とか個性という言葉の本来の意味もまた、そこに発しているのではないか。

ところが、これに対し感じる宗教の場合、その「」にあたる言葉が「ひとり」という大和言葉だったことに気付く。「ひとり」は「独り」とも「一人」とも書く。寂寥の中の孤独、独り寝を楽しむ一人、極小の我が身を嘆くひとりから、宇宙大の自意識へと膨張していくひとりまで「ひとり」を巡る伝承や物語を追っていくと、あっという間に千年の歴史を超える。近代ヨーロッパ語から輸入された「」と比べるとき、その日常言語としての含意はさらに深く、イメージの波長も長い。そしてこのような「ひとり」の意識が、先に触れた日本列島人の「無常」感覚と切っても切れない関係にあったのである。

「神仏習合」と国家神道の誕生
もう一つ、この国で生み出された「感じる宗教」の特質として挙げなければならないことがある。外来の仏教と土着の神道が共存するシステムが作られて、「神仏習合」の信仰が形成されたことだ。ここでいう神道の神、すなわち日本の神は、キリスト教諸国でいう神とは違う性格のものだった。元々、日本列島の神々は山野河海(さんやかかい)や森林に宿り、自然の奥座敷に鎮座すると考えられていたからだ。個性もなければ肉体も持たなかった。その多くは、名前を与えられず、どこにでも憑着(ひょうちゃく)する霊力を持っていた。だから、それは神と呼ばれるよりは「神々」と複数で記号のように名指しされる傾向が強かった。

そこへ仏教が伝えられ、神々と仏たちの共存、棲み分けの時代が始まった。
神々の仏教化が始まり、それがいつしか神仏習合と称されるようになった。面白いのは、このような棲み分けや混合を繰り返しているうちに、神と仏をほとんど同一視してしまう、神仏信仰が出来上がったということである。やがて明治時代になり、そこへキリスト教が正式に伝えられた。日本の神々のキリスト教化が始まったのであるが、それは明治の近代国家の成立を経て、一神教の運動を生み出した。日本列島の神々の中から特定の神を選び出し、それを最高神の地位に祀(まつ)り上げたのである。国家神道の誕生だった。

万人が死んで「ホトケ」になる日本
こうしてわが国には、山野河海の神々、仏教化した神々、キリスト教化した神から成る三階建ての神殿が出来上がった。その構成が、先に触れた日本人の意識の三層構造に対応していることに注意してほしい。そのことで外来宗教としての仏教の側に、もう一つの重要な変化が生じたのである。

ここは日本人の死生観を考える上で、鍵となる要所なのでそれに触れておこう。「」とは日本語で「ブツ」もしくは「ホトケ」と発音するが、この「」とは元のインドでは修行して悟りを開いた仏陀のことだった。悟りを開いた覚者(かくしゃ)をサンスクリット語でブッダといい、漢音写して仏陀と表記した。
それが、もっと単純化されて「」と略記されるようになる。

その仏陀の教えが日本に伝えられると、神道の影響もあって新しい意味を付与されるようになった。いつのまにか死んだ人を「ホトケ=仏」と呼びならわすようになったからである。神道では、人は死んで神になると考えられていたのである。論より証拠、我々の社会では、今でも死者のことを仏(ホトケ)と称して何ら怪しまない。インドの正統的なブッダの伝承を頭の中ではそれとして受け入れながら、しかし日本の仏教はいつの間にか、万人すべてが死んで仏になる、という思想を生み出したのである。

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