2006/02/03

ハイドン 交響曲第101番「時計」(第2楽章)


「時計」のニックネームが付いたのはこの第2楽章のためで、他の楽章を聴く場合に「時計」のタイトルを意識する必要はまったくない。

 

1790年にハイドンはそれまでの宮廷音楽家の地位を離れウィーンに移る。間を置かずロンドンのオーケストラを主宰するヴァイオリン奏者ザロモンにより、渡英の機会を得る。それ以前から既に一部の作品群は出版され、名声は高まりつつあった。

 

大作曲家の輩出という点では見劣り感のあるイギリスだが、18世紀末のこの時期、市民層の形成により音楽作品は既に宮廷の奥で一部の人々が享受するものではなくなっていた。首都ロンドンは大規模かつ高質なオーケストラを擁した、新作音楽の一大消費地とでも評すべき都市に変貌を遂げていた。

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